ヴィットリオ・ヴェネト (戦艦)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
艦歴 | |
---|---|
発注: | |
起工: | 1934年10月28日 |
進水: | 1937年7月25日 |
就役: | 1940年4月28日 |
退役: | |
その後: | スクラップとして廃棄 |
除籍: | 1948年2月1日 |
性能諸元 | |
排水量: | 基準 43,624 トン、満載 45,752 トン |
全長: | 224.5 - 237.8 m |
全幅: | 32.9 m |
吃水: | 10.5 m |
機関: | ヤーロー式重油専焼缶8缶+ブルッゾ式ギヤード・タービン4基4軸推進、最大出力140,000 hp、航続性能16ノットで4,580海里 |
最大速力: | 31.45ノット (56 km/h) |
兵員: | 1,830名(旗艦時1,910名) |
兵装: | 38.1cm(50口径)砲3連装3基9門 15.2(55口径)cm砲3連装4基12門 9cm(50口径)砲単装12基12門 37mm(54口径)高射機関砲連装10基20門 2cm(65口径)機銃単装20基20門(機関砲・機銃は時期により増加) |
艦載機: | 水上機3機、カタパルト1基 |
ヴィットリオ・ヴェネト (Vittorio Veneto) は、イタリア海軍の戦艦。ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦の1番艦。艦名は第一次世界大戦のヴィットリオ・ヴェネトの戦いに因む。ヴィットリオ・ヴェネトはウンベルト・プリエーゼ将軍が設計し、ワシントン海軍軍縮条約の制限を超えた最初の戦艦であった。
[編集] 艦歴
ヴィットリオ・ヴェネトはトリエステのカンテーリ・ルイニティ・デル・アドリアティコで1934年10月28日に起工、1937年7月25日に進水し、イタリアがフランスおよびイギリスとの戦争開始後の1940年4月28日に竣工した。
1940年11月27日にはスパルティヴェント岬沖海戦に参加し、遠距離からの7度の主砲斉射によりイギリスの巡洋艦隊を後退させた。
1941年3月26日から29日にかけてヴィットリオ・ヴェネトはマタパン岬沖海戦に参加し、ペロポネソス半島沖で砲戦を繰り広げた。カヴドス島近海でイギリスの巡洋艦隊に小規模の被害を与え退却させた後、ヴィットリオ・ヴェネトは雷撃機による攻撃を受け、帰還を余儀なくされた。イタリア艦隊はヴィットリオ・ヴェネトを援護するため5列の特異な陣形を取ったが、二度目の航空攻撃および続く夜戦で、3隻の重巡洋艦と2隻の駆逐艦がイギリス戦艦による砲撃で撃沈された。
魚雷攻撃により大きく破損し、4,000トンの海水が進水したものの、ヴィットリオ・ヴェネトはタラントに帰還した。しかしながら修理には5ヶ月を要した。
1942年には「Gufo」E.C.4 レーダーを装備する最初のイタリア戦艦となる。
ヴィットリオ・ヴェネトは地中海で56回の作戦活動に参加し、その内の11回は索敵攻撃任務であった。
1943年9月8日の休戦後、ヴィットリオ・ヴェネトはエジプトに派遣され、スエズ運河のグレートビター湖で抑留された。ヴィットリオ・ヴェネトが連合軍と共にフランス南部および太平洋で戦闘に参加するという提案は、政治的・運用上の配慮により実現しなかった。
第二次世界大戦後、ヴィットリオ・ヴェネトは賠償艦としてイギリスに回航されたが、その後イタリアに返還され、1948年にスクラップとして廃棄された。
[編集] 外部リンク
ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦 |
---|
前級:カイオ・ドゥイリオ級 次級:- |
イタリア海軍戦艦一覧 | イタリア海軍艦艇一覧 |