ヤクーツク
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ヤクーツク(Якутск, Yakutsk)はロシア連邦に属するサハ共和国の首都。レナ川に面する河港を持つ。人口は217,800人(2006年)。
1632年に建設された要塞を起源とする。ヤクーツク国立大学(1956年に開設)などの高等教育機関や、ロシア科学アカデミーの支部がある。
北半球で最も気温が低い寒極付近に位置するため、冬の寒さが非常に厳しく、1月の平均気温は-40.9℃で厳寒期には-50~-60℃になることがある。(なお南極昭和基地の最低気温記録が-45.3℃である。)しかし、夏は暑さが厳しく7月・8月には30℃を超え、盛夏には40℃に達することがあるという、典型的な大陸性気候である。また永久凍土の上に建てられた都市としては世界最大で、多くの建物はコンクリートの杭の上に建つ。
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[編集] 歴史
1632年に東シベリアへと進出したコサックが建設した砦を起源とする。砦は、入植地を取り囲むように柵が張り巡らされていた。エニセイスク軍政部の管理下にあったが、1638年より分離してヤクーツク軍政部のもとに置かれた。当初はレナ川右岸に築かれたが、1643年に現在の左岸へと移された。以後、ロシア人の商人や入植者が東シベリアから北極海、極東に至る範囲へ進出する拠点となり、毛皮の集散地として重要な役割を果たしたが、都市と呼べるまでに拡大するのは1880年代から1890年代にかけて金やその他金属の鉱床が発見されてからである。これらの鉱山にはヨシフ・スターリンの時代、グラグ(強制収容所)が作られて多くの政治犯や戦争捕虜が送り込まれ、開発がすすめられた。グラグの急速な増設と強制労働者たちによるシベリアの急速な開発は、ヤクーツクを大きな街にした。
[編集] 交通
ヤクーツクは南から延びるレナ国道の終点である。実際には国道はレナ川の対岸までで、サハ共和国内には巨大なレナ川を渡る橋はないため、、夏はそこからフェリーで川を渡り、冬は凍結した川の上を車で走る。しかし、氷がまだ厚くない晩秋や、溶けたたくさんの氷が流れたり雪解け水で川があふれたりする春は川を渡ることができないため、ヤクーツク対岸の国道終点付近には人口4,000人ほどのニジニ=ベスチャク(Нижний Бестях)という街がある。また、ヤクーツクは極東のオホーツク海沿岸の街マガダンともコリマ国道で結ばれている。
レナ川を介した流域各都市や北極海への水運も盛んであるが、厳寒期には凍結するレナ川は天然の道路となり、トラックが流域の集落へ物資を届けるための幹線になる。夏にはヤクーツクを起点として、上流の柱状節理や下流のレナ・デルタへのクルーズも出発する。
ヤクーツク空港(en:Yakutsk Airport)は1931年に開港し、第二次世界大戦時にはアメリカからヨーロッパへの航空路の中継点となった。現在ではモスクワやイルクーツク、ウラジオストクなどの大都市のほか韓国のソウルにも定期便がある。
レナ川を渡る道路・鉄道併用橋は2013年の完成を目指しており、その時期にはバム鉄道から北へ延びるアムール・ヤクーツク鉄道が終点のヤクーツクまで完成する見込みである(鉄道は260km南のトンモトまで達している)。この橋は3kmを超える長さで、ヤクーツクから40km上流の川幅が比較的狭く、なおかつ春に氾濫原とならない場所に計画されている。
[編集] 研究教育・文化
ヤクーツク国立大学およびロシア科学アカデミーの支部が市内に位置する。アカデミーには世界有数の規模の宇宙線観測施設などを擁する宇宙物理学研究所や、永久凍土に建築物を作る問題などに取り組む永久凍土研究所が属する。
またヤクーツクはマンモス博物館やサハ劇場などの文化施設もある。
[編集] 経済
ヤクーツクは多くの鉱業会社の本社やオフィスが立地する。例えば世界のダイヤモンドの20%近くを生産するサハ共和国のダイヤモンド鉱山(ミールヌイやウダーチヌイなど)を管轄するアルローサ(ALROSA)の事務所もある。
[編集] 友好都市
[編集] 参考文献
- (米原万里・文、関口たか広・え、毎日小学生新聞・編) 『マイナス50°Cの世界 -- 寒極の生活』(知る知るシリーズ) 現代書館 1986年7月 71p ISBN 4768477364
- (米原万里・著、山本皓一・写真) 『マイナス50°Cの世界』 清流出版 2007年1月 125p ISBN 978-4-86029-189-1 (上掲同題書を改稿、写真追加)
[編集] 外部リンク
- ヤクーツク市役所公式サイト(ロシア語)