モザンビーク島
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モザンビーク島 |
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モザンビーク島 | |
(英名) | Island of Mozambique |
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(仏名) | Île de Mozambique |
登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | 文化遺産(4), (6) |
登録年 | 1991年 |
拡張年 | |
備考 | |
公式サイト | ユネスコ本部(英語) |
地図 | |
モザンビーク島は、モザンビーク北部のモザンビーク海峡とモスリル湾の間に位置する島。約14000人が住んでいる島で、かつてポルトガルの植民地だったときにはモザンビークの中心的な都市として機能していた(都市名は国名と同じ「モザンビーク」である)。
目次 |
[編集] 歴史
1498年にバスコ・ダ・ガマが到達するよりもずっと前から、ここはアラブ人の港であり、造船所でもあった。1507年にはポルトガルが港と海軍拠点を建造し、1522年にはノサ・セニョラ・デ・バルアルテ礼拝堂が建てられた。この礼拝堂は、南半球における現存最古のヨーロッパ建築と見なされている。
16世紀にサン・セバスティアン要塞が建造され、次いで建てられたポルトガルの植民都市モザンビークは、ポルトガル領東アフリカの首都となった。同時に、この島はキリスト教の重要な伝道拠点にもなった。1607年と1608年にはオランダの侵攻にも耐え、インド航路におけるポルトガルの重要な拠点としての地位を保持し続け、黒人奴隷、香辛料、金などの交易が行われていた。
スエズ運河の開通によって、島は衰退に向かった。1898年には首都はモザンビーク本土のロウレンソ・マルケス(現マプト)に移転された。
[編集] 観光名所
ほかに見るべき建造物としては、以下のものがある。
- サン・パオロ宮殿と礼拝堂 - 1610年建造。現在は博物館。
- 聖画美術館 - かつての病院を美術館に改装したもの。優れたマコンデ (Makonde) 様式の十字架に架けられたキリスト像が展示されている。
- サン・アントニオ教会
- ミゼリコルディア教会
島は都市化が進んでおり、キリスト教以外に、モスクやヒンドゥー教寺院なども建てられている。1960年には、本土と島を結ぶ長さ3kmにわたる橋が架けられた。
島はあまり大きくなく、長さ3km、幅200 - 500m といったところである。ほとんどの史跡は島の北端に集中しているが、葦で作られた住居で暮らす島民たちのほとんどは、島の南端のマクティという町に住んでいる。
[編集] 登録基準
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。
- (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
- (6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。