ボド・イルクナー
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ボド・イルクナー | ||
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名前 | ||
ラテン文字 | Bodo Illgner | |
基本情報 | ||
国籍 | ドイツ | |
生年月日 | 1967年4月7日(41歳) | |
出身地 | コブレンツ | |
身長 | 190cm | |
体重 | 92kg | |
選手情報 | ||
ポジション | GK | |
利き足 | 右足 | |
代表歴 | ||
1987-1994 | ドイツ | 54 (0)
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ボド・イルクナー(Bodo Illgner, 1967年4月7日 - )は、ドイツ出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。一対一の対応、クロスに対する反応等に優れた1990年代のドイツとヨーロッパを代表するGKの一人である。
目次 |
[編集] 略歴
軍人である父ギュンターの勧めでサッカーを始める。ボンにあるFCハルトベルクの下部組織で育ち頭角を現すと、1983年に1.FCケルンに入団。1984年に西ドイツU-16代表としてU-16欧州選手権制覇に貢献しドイツ期待の若手GKとして注目を集める様になった。
ケルンでは1986年2月にトップチームデビューを飾ったものの、当時のケルンには西ドイツ代表の守護神であるハーラルド・シューマッハーの存在もあってレギュラーを奪取する事は厳しく、出場機会を求め移籍する道を模索する様になった。 しかし、同年10月にシューマッハーがスキャンダルを惹き起こした事で解雇されると、ケルンの正GKの座を掴む事に成功、以降ケルンの守護神として長らくゴールマウスを守り続けた。
西ドイツ代表にも1987年に初選出され、同年9月23日のデンマーク代表戦でデビューを飾った。1988年のユーロ88には控えGKとしてメンバー入りし、その後は代表のポジション争いに競り勝ち、正GKに定着する。1990年のワールドカップ・イタリア大会では全試合に出場し3度目の世界制覇に貢献した。1992年のユーロ92では決勝でデンマークに敗れたものの準優勝。1994年のワールドカップ・アメリカ大会にも正GKとして出場したが、準々決勝で敗退し、大会後に27歳という若さで代表を引退した。
長年1.FCケルンでプレーを続けたが、1996年にファビオ・カペッロ監督の誘いを受けてスペインの強豪レアル・マドリーへ移籍。リーグ優勝やUEFAチャンピオンズリーグ優勝に貢献し、クラブでも大きなタイトルを手にした。晩年は怪我が多くなり試合出場は少なくなったが、若き日のイケル・カシージャスに多大な影響を与えたといわれる。2001年に現役引退した。
[編集] 所属クラブ
[編集] 代表歴
- 1987年-1994年 西ドイツ代表/ドイツ代表 54試合0得点
[編集] タイトル
[編集] クラブ
- UEFAチャンピオンズリーグ 2回(1997-98,1999-2000)
- インターコンチネンタルカップ 1回(1998)
- リーガ・エスパニョーラ 2回(1996-97,2000-01)
[編集] 代表
- FIFAワールドカップ 1回(1990)
- UEFA U-16欧州選手権 1回
[編集] 個人
- ドイツ年間最優秀GK賞 4回(1989,1990,1991,1992)
- 欧州年間最優秀GK賞 1回(1991)
西ドイツ代表 - 1990 FIFAワールドカップ 優勝メンバー (3度目) | |
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1 イルクナー | 2 ロイター | 3 ブレーメ | 4 コーラー | 5 アウゲンターラー | 6 ブッフバルト | 7 リトバルスキー | 8 ヘスラー | 9 フェラー | 10 マテウス | 11 ミル | 12 アウマン | 13 リードレ | 14 ベルトルト | 15 バイン | 16 シュタイナー | 17 メラー | 18 クリンスマン | 19 プフリュグラー | 20 トーン | 21 ヘルマン | 22 ケプケ | 監督 ベッケンバウアー |
ドイツ代表 - 1994 FIFAワールカップ | |
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1 イルクナー | 2 シュトルンツ | 3 ブレーメ | 4 コーラー | 5 ヘルマー | 6 ブッフバルト | 7 メラー | 8 ヘスラー | 9 リードレ | 10 マテウス | 11 クンツ | 12 ケプケ | 13 フェラー | 14 ベルトルト | 15 ガウディーノ | 16 ザマー | 17 ワグナー | 18 クリンスマン | 19 キルステン | 20 エッフェンベルク | 21 バスラー | 22 カーン | 監督 フォクツ |