ホンダ・レーシング
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株式会社ホンダ・レーシングは、本田技研工業出資の2輪モータースポーツ専門会社。
1982年創設。埼玉県朝霞市に本拠地を置き、ヨーロッパ拠点はベルギー。国内外の主要2輪モータースポーツにおいてホンダのワークス・チームとしての活動・及びワークスマシン開発、プライベーター向けレースマシンやキットパーツの開発・販売を主な業務とする。
社名ロゴは主にHRC(えいち・あーる・しー、Honda Racing Corporation)という表記を用いる場合が多い。通称として定着しており、本項でも以後はHRCを用いる。
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[編集] 沿革
1982年、二輪モータースポーツの社会的認知を高め、またレース活動の効率化と一般ユーザーへの還元を目的として、本田技術研究所内においてロードレース世界選手権にNR500を開発・参戦させていた開発チームNRブロックと、既に別会社として世界耐久選手権にRS1000を参戦させるなどしていたレーシング・サービス・センター(RSC)とが一本化されるかたちで設立された。
市販車ベースのワークスマシン開発とレース用パーツ供給でプライベーターの活動まで支援してきたRSCの組織体にNRブロックが持つ純粋レースマシンの開発体制が加わることで、効率的に頂点から裾野までのレース活動全体に携わる専門企業としての体制が整った。それと同時に、1959年のマン島TTレース出場に起源を持つヨーロッパにおけるレース活動の拠点を、島国であるイギリスから大陸にあるベルギーに移転させることで利便性の向上を図った。初代社長にはNRブロックの総責任者であった入交昭一郎が就任。
レース専門の別会社としたことで、本社の業績に左右されにくい継続的なレース活動が実現できるようになった。これには、ホンダが乗用車の販売に注力することを理由に1967年から1978年にかけてロードレース世界選手権への参戦を休止したことで技術者の育成が滞り、市販車を含めた二輪車の開発力が低下したという反省があるものと考えられる。
1983年には早くもNS500でマニュファクチャラータイトルを獲得。その後もNSR500やRC211Vで数多くのタイトルを獲得するなど戦闘力の高いマシンを送り出し続けている。また市販レーサーでは下位カテゴリー向けのRS125Rや、草レース向けにもドリーム50Rを用意するなど底辺からもレースを広めるという会社設立の理念を反映したラインナップを整え、ハードの面から二輪モータースポーツの発展に貢献している。
[編集] 主なモータースポーツ活動
- ロードレース世界選手権(MotoGP)
- スーパーバイク世界選手権(SBK)
- 全日本ロードレース選手権(JRR)
- 毎年優勝候補として参戦。1997年から2006年まで続いたホンダの大会10連覇中8勝がHRCによるもの。1998年から2006年まではメインスポンサーにJTのタバコブランドがついていた(98/99ラッキーストライク、00~02キャビン、03~06セブンスター)。
- モトクロス世界選手権(WMX)
- 2007年現在も参戦中。
- 全日本モトクロス選手権(JMX)
- 2007年現在も参戦中。
- トライアル世界選手権(WTC)
- 2007年現在も参戦中。
[編集] 主な製品
- ワークスマシン
- プライベーター向けGPマシン
- NSR500V(プライベーター販売用)
- RS250
- RS125
- プライベーター向けキットパーツ
- アマチュアライダー向けマシン
- NSRmini
- NSF100
- NSR150
[編集] 主な所属ライダー
※過去に所属したライダーを含む
- 片山敬済
- 阿部孝夫
- 木下恵司
- 清水雅広
- 八代俊二
- 伊藤真一
- 辻本聡
- 岡田忠之
- 宇川徹
- 加藤大治郎
- 武田雄一
- 玉田誠
- 清成龍一
- フレディ・スペンサー
- ロン・ハスラム
- ワイン・ガードナー
- マイケル・ドゥーハン
- アレッシャンドレ・バロス
- バレンティーノ・ロッシ
- ニッキー・ヘイデン
- ダニ・ペドロサ
など