ブライアン・エプスタイン
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ブライアン・サミュエル・エプスタイン(Brian Samuel Epstein, 1934年9月19日 - 1967年8月27日(満32歳没))は、イギリスのビジネスマン。
1962年6月26日、ビートルズをマネージメントする為の会社「NEMSエンタープライズ」を弟クライブを共同経営者に迎えて設立する。ビートルズのマネージャーとして最もよく知られ、彼らからはエピーという愛称で呼ばれていた。なお彼自身は自分の苗字を常にエプスティーン(Epsteen)と発音した。
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[編集] ビートルズと出会うまでの略歴
祖父の代にポーランドからイギリスに移住したユダヤ人の家庭の生まれ。エプスタインの父親ハリーは家具店を経営しており、ポール・マッカートニーの一家はそこでピアノを購入したというエピソードが伝わっている。ユダヤ系の小学校のビーコンフィールズを卒業後、パブリック・スクールのレーキン校に入学。二年で退学。父親の家具店で働き始める。
1952年12月、徴兵されて陸軍に入隊。隊規違反を起こし、精神鑑定によって同性愛者であるという結果が出たため除隊になり、家具店の1フロアに作られたレコード売り場を担当する。
1956年、俳優を志してロンドンの王立演劇学院に入学。一年で挫折してリバプールに戻り、父親が電気製品の分野に進出した「NEMS」と名付けられた店のレコード部門の責任者となる(弟クライブが電気&家庭用品部門を担当)。
1961年8月3日発行の『マージー・ビート』誌3号から音楽コラムの連載を始めた。
[編集] ビートルズとの出会い
[編集] 対面の経緯
ブライアン・エプスタインの自伝「地下室いっぱいの騒音」によると、ビートルズの存在を知ったのは、1961年10月28日、トニー・シェリダン(伴奏がビートルズ)のシングル「マイ・ボニー」を、レイモンド・ジョーンズというビートルズのファンが彼の店に買いに来たときだった。エプスタインと友人のアリステア・テイラーは、バンドの演奏を見るために、同年11月9日、キャバーン・クラブを訪れた。クラブは彼の店から通りを下ったところに位置した。 バンドの演奏を見たエプスタインは「私はそれまで、地元のリバプールで人気を集め始めていたビート・グループに対して一度も興味の目を向けた事は無かったが、すぐに彼らの音楽、彼らのビート、彼らのユーモアセンスに打たれた。そして彼らに会った後でさえ、彼らの個人的魅力に再び心打たれた。そしてそれは全ての始まりだった...」と語っている。
ただし、この定説は、現在では信憑性に乏しいと言われている。上記の通りエプスタインは1961年8月3日発行のマージー・ビート3号から音楽コラムを担当しているが、同誌前号に相当する2号(当時のマージー・ビートは隔週誌)のトップ記事がビートルズであり、3号から音楽コラムを担当する様な人間が、その二週間前に発行された2号のトップ記事を知らなかった…というのは客観的に考えて著しく整合性を欠くという意見がある。
(なお、アリステアの著書『シークレット・ヒストリー』には、「レイモンド・ジョーンズというのは、突然現れた大人気グループである(らしい)ビートルズという連中のレコードを、どうにか手に入れようと思って、僕が適当に考えた名前なんだから」と書いてある)
[編集] 契約の経緯
エプスタインがバンドのマネージメントを行うことは1961年12月10日に決定した。その後彼らは、1962年1月24日にピート・ベストの家でエプスタインとの5年契約にサインした。しかし、あえてエプスタインはサインせず、いつでも契約を解除できるオプションを、ビートルズに与えた。
この件について、エプスタインは自伝で、ビートルズのメンバーが将来的に自由な活動が出来る様に気を遣ったという意味の発言を述べている。一方、エプスタイン以前にビートルズのマネージメントを手がけていたアラン・ウィリアムスとビートルズの間で金銭トラブルが生じた事があり、エプスタインはウィリアムスから「彼らは金に汚いから契約をする時は注意しろ。トラブルで財産を失う可能性もあるから、いつでも彼らを切り捨てられる様に準備しておけ」というアドバイスを得ていた事が分かっている。また、エプスタインがビートルズに接近した時点で、当時ビートルズのメンバーだったピート・ベストの母親モナが、ビートルズのマネージメントに近い活動を行っており、しかも契約した場所がピート・ベストの家だった。そこでもしエプスタインがサインをしたら、モナからクレームが付く可能性があった。この2つの理由によって、エプスタインはサインを断念した、という説がある。
※アリステアは著書『シークレット・ヒストリー』でこの風説も否定している。「契約したのはピートの家ではなく、 NEMSのオフィスがあったホワイト・チャペル」。(アリステアは、立会人として契約書に署名した)
[編集] 契約後の経緯
エプスタインがビートルズと出会った当時、彼らはジーンズと革ジャケットを着用し、騒がしい演奏を行っていた。不良のイメージを払拭させるべく、エプスタインは彼らにスーツとネクタイを着用させ、ステージ上で小綺麗にするようにさせた。また、ステージ上での喫煙をやめさせ、演奏の終わりには一礼を行うようにさせた。その外観は(モップ・ヘアを除いて)バンドが一般に受け入れられるのに役立った。これらのスタイルは長くは続かなかったが、ビートルズのイメージとして、現代に至るまで永く印象付けられる事になった。
[編集] 死因
エプスタインは1967年8月27日にアスピリンの過剰摂取で死去した。彼の死は自殺だったのではないかとしばしば推測された(同年9月30日にビートルズとNEMSとの契約が期限切れになること、ビートルズがコンサートを中止したためにエプスタインの仕事が減り、自分の必要性がそれまでよりなくなってしまい悩んでいたとも言われている)が、公式の検死は偶然の事故死とされた。エプスタインは、ビートルズの経歴全ての面を管理していた。彼が死んだ後、メンバーの対立が表面化し、ビートルズは解散に向かうこととなったため、解散の重要な要因となったとも言われている。
[編集] 私生活
生前公表されることはなかったが、エプスタインは同性愛者であった。ジョン・レノンに惹かれていたものの、個人的な感情に基づいて行動した形跡はほとんどない。1963年4月、二人は四日間のスペイン旅行を共にする。この際二人が性的な接触をもったという噂が流れた。レノン(率直な発言で知られる)は常にこの噂を否定していた。1980年には、プレイボーイ誌のインタビューにこう答えている。「決して頂点に達することはなかったけど、かなり強烈な関係だった」ポール・マッカートニーも、レノンとエプスタインの関係はプラトニックだったと述べている。映画 『僕たちの時間』 The Hours and Times (1991) は、このスペイン旅行の事実に基づいたフィクションである。
レノンの長年の親友ピーター・ショットンは、著書 The Beatles, Lennon and Me のなかで、エプスタインに誘われたレノンがある程度要求を受け入れたと主張している。「手コキさせてやった。それでおしまい」。伝記作家の Hunter Davis も、レノンが「どんなものか試してみようと」一度の行為に同意した、と回想している。作家のアルバート・ゴールドマンは著書 The Lives of John Lennon でこれらの主張について詳述し、二人の関係は長期間続いたと主張している。だが、彼らを知る者はほぼ全員、この主張を否定している。いずれにせよ、エプスタインはビートルズのマネージメントに関しては一貫して公平であり、えこひいきをしてメンバーの間に緊張を生まぬよう、注意していた。ちなみにジョン・レノンはオノ・ヨーコが娼婦を探してこなければならないほどのセックス好きだったという説がある。
ジョンは1962年当時リバプールでDJをしていたボブウーラーにブライアンとの「ちょっとした関係」を触れられた途端、暴力行為に及び彼の顔面を何度も殴打した、翌日にはブライアンが詫びを入れこれをボブウーラーが受け入れたことで収まった。1969年のインタビューでもわざわざブライアンとの関係を否定するコメントを語り、以後この件はインタビュアーには暗黙の了解としてタブー視されていた。
[編集] 外部リンク
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メンバー | ジョン・レノン - ポール・マッカートニー - ジョージ・ハリスン - リンゴ・スター |
前メンバー | ピート・ベスト - スチュアート・サトクリフ |
プロデューサー | ジョージ・マーティン - フィル・スペクター - ジェフ・リン - ノーマン・スミス |
関連人物 | ブライアン・エプスタイン - クラウス・フォアマン - ビリー・プレストン - アラン・ウィリアムス - アラン・クライン - ニール・アスピノール - マル・エヴァンズ - アリステア・テイラー - ジェフ・エメリック - ノーマン・スミス - ケン・スコット - マハリシ・ヨギ - オノ・ヨーコ - リンダ・マッカートニー - オリヴィア・トリニアード・アリアス - パティ・ボイド - モーリン・スターキー - バーバラ・バック |
スタジオ & レーベル | アビー・ロード・スタジオ - EMI - パーロフォン - キャピトル・レコード - アップル・レコード |
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