フランス革命の年表
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フランス革命の年表(ふらんすかくめいのねんぴょう)。ここでは、1789年に起こったフランス革命と、その前後の出来事を年表にする。
目次 |
[編集] 革命以前
- 1776年
- 財務総監テュルゴー罷免。
- アメリカ独立戦争始まる
- 1778年
- フランス、イギリスに対抗してアメリカ植民地を支援することを宣言。以降、財政状況はさらに悪化。
- 1783年
- パリ条約締結。アメリカ独立戦争が終結し、フランス国内でも自由への希求が高まりを見せる。
- 1785年
- 首飾り事件。王妃マリー・アントワネットに疑いがかかる。
[編集] 財政危機と議会の召集
- 1786年
- 8月20日
- 財務総監カロンヌ、王家の財政破綻を宣言。
- 12月29日
- 名士会が招集される。
- 1787年
- 2月22日
- 最初の名士会が開催。財政難を背景とした貴族への課税に反対。
- 5月
- カロンヌの案と貴族が対立。会議が行き詰まりをみせる。
- 7月
- 1788年
- 6月7日
- 屋根瓦の日。グルノーブルで国王の軍隊に民衆が瓦や石を投げつける。
- 8月8日
- 国王ルイ16世によって、全国三部会の召集が布告される。
- 8月25日
- ネッケル、再び財務総監に就任。
- 1789年
- 1月
- シェイエスが『第三身分とは何か』を出版。ベストセラーとなる。
- 5月5日
- ヴェルサイユで三部会が開会。
- 6月17日
- 第三身分による国民議会設立の宣言。
- 6月20日
- 球戯場の誓い。第三身分議員を中心に、憲法制定まで解散しないことを誓う。
- 同時に三部会閉鎖。
- 6月27日
- 国王が第一・第二身分(聖職者・貴族)に国民議会への合流を勧告。
- 7月6日
- 憲法制定委員会の設置。
- 7月9日
- 国民議会、憲法制定国民議会へと改称。
- 7月11日
- ネッケル、大臣を罷免される。
- 7月12日
[編集] 革命の勃発
- 7月14日
- バスティーユ牢獄が襲撃される。(フランス革命の勃発)
- 7月15日
- 7月16日
- ネッケル復職。
- 7月17日
- 革命が地方に波及。大恐怖(グラン・プール)始まる。
- 8月4日
- 封建的特権の有償廃止が決議される。
- 8月26日
- 人間と市民の諸権利の宣言(フランス人権宣言)が採択される。
- 9月12日
- マラー、「人民の友」を創刊。
- 10月5日
- パリ民衆がヴェルサイユへ行進。
- 10月6日
- 国王一家がヴェルサイユからパリへ強制移動。
- 10月12日
- 国王と共に、議会もパリへ移ることが決定。
- 11月2日
- 教会財産の国有化が宣言される。
- 12月14日
- アッシニア紙幣発行。
- 1790年
- 7月14日
- 第1回パリ祭。
- シャン・ド・マルスで全国連盟祭。
- 8月11日
- 十分の一税の無償廃止が決定。
- 9月6日
- 高等法院の廃止。
- 10月21日
- 1791年
- 3月2日
- 同業者組合(ギルド)が禁止される。
- 4月2日
- ミラボー死亡。国王と議会の連絡役が不在に。
- 6月20日
- 国王一家、国外脱出をはかる。
- 6月21日
- 国王一家、ヴァレンヌで捕われ、25日にパリへ帰還(ヴァレンヌ事件)。以後、国王への支持が急速に減少。
- 7月16日
- フイヤン・クラブ創設。
- 7月17日
- シャン・ド・マルスの虐殺。
- 8月27日
- 9月3日
- 9月14日
- 国王が新憲法に宣誓。
- 9月30日
- 憲法制定国民議会が解散。
- 10月1日
- 立法議会召集。
- 1792年
- 1月25日
- 立法議会、オーストリア皇帝にピルニッツ宣言奪回を要求する様国王に勧告。
- 2月7日
- オーストリア・プロイセン・イギリス等による第一次対仏大同盟締結。
- 3月10日
- ジロンド派による内閣誕生。
- 4月20日
- 立法議会、オーストリアに対し宣戦決議(フランス革命戦争の開戦)。
- 4月25日
- 『ラ・マルセイエーズ』が作曲される。
- 6月13日
- 国王がジロンド派の大臣を罷免。フイヤン派内閣が成立。
- 7月11日
- 立法議会、「祖国の危機」を訴える非常事態宣言を決議。
- 義勇兵の呼びかけ。
- 7月25日
- プロイセン軍人のブラウンシュヴァイク公、「国王一家に危害を加えれば、パリを壊滅させる」と宣言。
[編集] 王権の停止と国王の処刑
- 8月10日
- 8月11日
- 9月2日-7日
- 9月虐殺。数箇所の監獄で、反革命容疑者を民衆が虐殺。
- 9月20日
- 9月21日
- 王政の廃止を決議。
- 10月2日
- 国民公会、保安委員会を設置。
- 11月19日
- ベルギーを併合。
- 1793年
- 1月1日
- 国防委員会(公安委員会の前身)設置。
- 1月21日
- 国王ルイ16世処刑。
- 2月1日
- 3月3日
- 3月7日
- 国民公会、スペインに宣戦布告。
- 3月10日
- 革命裁判所設置。
- ヴァンデの反乱始まる。
[編集] ジャコバン派独裁
- 4月6日
- 公安委員会発足。
- 5月4日
- 穀物の最高価格法制定。価格統制が始まる。
- 6月2日
- 国民衛兵とパリ民衆が国民公会を包囲。ジロンド派の追放が始まる。
- 6月24年
- 1793年憲法(ジャコバン憲法)制定。(実際には実施されず)
- 7月12日
- トゥーロンで王党派の反乱発生。
- 7月13日
- マラー、シャルロット・コルデーにより暗殺される。
- 7月17日
- 封建的特権の無償廃止が決議。
- シャルロット・コルデー処刑。
- 7月27日
- ロベスピエールが公安委員会に参加。
- 8月23日
- 国家総動員令による国民皆兵制度が始まる。
- 9月29日
- 全最高価格法制定。
- 10月10日
- サン・ジュストが国民公会に提案し「平和が到来するまで革命的である政府」の樹立が宣言(革命政府宣言)。
- 10月16日
- 王妃マリー・アントワネット処刑。
- 10月31日
- ブリッソーら、ジロンド派議員21名が処刑。
- 11月8日
- ロラン夫人処刑。
- 11月24日
- フランス革命暦の採用が決定。(使用は10月5日から)
- フリメール14日法可決。中央集権化に加速。
- 12月4日
- 12月19日
- イギリス軍、トゥーロンから撤退。
- 1月19日
- イギリス軍、コルシカ島に上陸。
- 2月4日
- プリュヴィオーズ16日法可決。全フランス植民地での黒人奴隷制廃止が決定。
- 2月26日
- ヴァントーズ法可決。反革命容疑者の全財産を没収され、貧困者に配分される。
- 3月24日
- エベール一派(ジャコバン左派)処刑。
- 4月2日
- ダントンの裁判が始まる。
- 4月5日
- 5月8日
- 化学者ラヴォワジエが処刑。
- 6月8日
- シャン・ド・マルスで最高存在の祭典が開催。
- 6月10日
- プレリアール22日法制定。恐怖政治に拍車。
- 7月27日
- テルミドールのクーデター勃発。国民公会がロベスピエール一派の非難決議を採択。
- (狭義には、フランス革命はこの日をもって終結とされる)
- 7月28日
- ロベスピエール、サン=ジュスト、クートン、ル・バら22名が処刑。
- ヴァントーズ法、プレリアール22日法、事実上消滅。
[編集] 恐怖政治の終焉と革命の反動
- 11月12日
- ジャコバン・クラブが閉鎖される。
- 12月
- ジロンド派が議会に復帰。
- 12月24日
- 最高価格令が撤廃。
- アッシニア紙幣の価値が急落。物価が高騰。
- 1795年
- 4月1日
- ジャコバン残党によるジェルミナールの蜂起。1793年憲法の実施と食料を要求する民衆が公会に乱入するも、軍隊により鎮圧される。
- 5月20日
- プレリアールの蜂起。パリ民衆がパン不足に抗議するも鎮圧される。
- 5月31日
- 革命裁判所の廃止。
- 8月22日
- 1795年憲法の制定。直接税を払っている21歳以上の男子にに選挙権が認めらる。
- 10月5日
- 王党派によるヴァンデミエールの反乱。ナポレオン・ボナパルトがこれを鎮圧。
- 10月26日
- 1796年
- 3月11日
- ナポレオンによるイタリア遠征開始。
- 5月10日
- バブーフの陰謀が発覚。バブーフをはじめ、陰謀に関った数名が逮捕。
- 9月14日
- フリュクチドール18日のクーデタ。
- 10月17日
- カンポ・フォルミオの和約締結。オーストリアと講和。
- 1798年
- 5月11日
- フロレアール22日のクーデタ。
- 5月19日
- ナポレオンによるエジプト遠征始まる。
- 12月24日
- 第二次対仏大同盟結成。
- 1799年
- 6月18日
- プレリアール30日のクーデタ。アヴェ・シエイエスが実権を握る。
[編集] ナポレオン時代の始まり
- 8月22日
- ナポレオン、エジプトを放棄して脱出。
- 9月9日
- ナポレオン、フランスに帰国。
- 11月9日
- ブリュメール18日のクーデタ。総裁政府が倒れ、統領政府が成立。ナポレオンが第一統領となる。
[編集] 関連項目
- ナポレオン時代の年表