バンカー・ヒル (空母)
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艦歴 | |
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起工 | 1941年9月15日 |
進水 | 1942年12月7日 |
就役 | 1943年5月24日 |
退役 | 1947年1月9日 |
除籍 | 1966年11月1日 |
その後 | 1973年にスクラップとして売却 |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:27,100トン |
満載:36,380トン | |
全長 | 総:872フィート |
吃水線:820フィート | |
全幅 | 総:147フィート 6インチ |
吃水線:93フィート | |
吃水 | 基準:28フィート 5インチ |
満載:34フィート 2インチ | |
機関 | バブコック&ウィルコックス製ボイラー8基150,000 shp, ウェスティングハウス製蒸気タービン4基4軸推進 |
最大速 | 33ノット |
航続距離 | 15ノットで20,000海里 |
兵員 | 2,600名(士官含む) |
兵装 | 38口径5インチ連装砲4基 38口径5インチ単装砲4基 56口径40mm4連装機関砲8基 78口径20mm単装機関砲46基 |
搭載機 | 90~100機 |
バンカー・ヒル(USS Bunker Hill, CV/CVA/CVS-17,AVT-9)は、アメリカ海軍の航空母艦。エセックス級航空母艦の7番艦。太平洋戦争(大東亜戦争)ではマリアナ沖海戦(フィリピン海海戦)、レイテ沖海戦(レイテ湾海戦)などに参加した。 艦名の由来となった「バンカー・ヒル」は、ボストンの軍港の近くにある小さな丘で、独立戦争の古戦場として知られる。
[編集] 艦歴
バンカー・ヒルは1941年9月15日にマサチューセッツ州クインシーのベスレヘム・スチール株式会社にて起工され、1942年12月7日、ドナルド・ボイントン夫人によって命名、進水した。1943年5月24日に就任し、初代艦長はJ・J・ベレンティーン大佐が任命された。
バンカー・ヒルはモントゴメリー少将の指揮下に入り、空母エセックス、インディペンデンスらと任務部隊(高速機動部隊)を編成し、1943年11月11日、第二次ラバウル空襲に参加した。11月13日からギルバート攻略作戦(ガルヴァニック作戦)が開始され、バンカー・ヒルはタラワ(環礁)攻略にあたり航空支援を行い、同作戦の支援にあたった(ギルバート・マーシャル諸島の戦い)。1943年12月25日、ニューアイルランド島カビエンの攻略が開始し、こちらでも航空支援で1944年1月1日から4日まで参加した。スプルーアンス中将指揮下の第58任務部隊に加わり、1月29日から2月8日にかけて、マーシャル諸島攻略支援を行った。同任務部隊に所属してトラック島空襲、マリアナ諸島空襲(2月23日)、パラオ諸島空襲(3月30日~4月1日)などに参加し、カロリン諸島一帯に展開する日本軍に打撃を与えた。
その後もマリアナ沖海戦、フィリピン攻略、レイテ沖海戦、沖縄戦など主要な戦いに参加した。マリアナ沖海戦では、日本海軍の第一機動艦隊から出撃した艦上機群のうちの2機による急降下爆撃を受け、至近弾の炸裂により喫水線下に損傷を受けるが、海戦終了直後にウルシー泊地で修理を受け、すぐに戦線に復帰している。
また沖縄戦では、沖縄水上特攻作戦に出撃した戦艦大和に対して、僚艦のエセックス級空母などと共同して艦上機群による攻撃を行いこれを撃沈しているが、自身も深刻な被害も受けることとなった。
沖縄侵攻を支援中の1945年5月11日の朝、バンカー・ヒルは二機の特攻機の突入によって大きなダメージを受けた。低空を飛行してきた零式艦上戦闘機は飛行甲板上に250キロ爆弾を投下したが、爆弾は艦上を通り過ぎ海上で爆発した。その後零戦は飛行甲板に突入し、燃料を満載していた艦上機を破壊し大火災を引き起こした。小川清少尉の操縦する二機目の零戦は燃えさかる火を通り抜けて250キロ爆弾を投下し、艦橋に激突した。爆弾は艦内部に達して爆発し、ガソリンに引火し誘爆を引き起こした。戦死者は346名、行方不明43名、負傷者264名となり、バンカー・ヒルは真珠湾経由でワシントン州ブレマートンに帰投した。
なお、硫黄島上陸作戦からこの日(5月11日)まで、バンカー・ヒルは第58任務部隊(高速空母機動部隊)の旗艦であり、司令官のマーク・ミッチャー中将が座乗していたが、この特攻攻撃により、ミッチャー中将は旗艦をエンタープライズに変更した。しかし、その三日後の5月14日にエンタープライズも特攻攻撃により深刻な損傷を受け、ミッチャー中将はランドルフへの旗艦変更を余儀なくされた。
戦後は復員兵輸送(マジック・カーペット作戦)に参加する。1952年10月にCVA-17(攻撃型空母)、1953年8月にCVS-17(対潜空母)など類別変更されたが、他のエセックス級空母と違って大規模改装を受けず、フランクリンとバンカー・ヒルは朝鮮戦争やベトナム戦争に参加することはなかった。1959年5月、バンカー・ヒルはAVT-9(航空機訓練・輸送艦)に再分類された。1966年11月1日に除籍されてからの数年間は、サンディエゴのノースアイランド海軍基地で海軍の電子実験船として使用され、その後1973年にスクラップとして売却、解体された。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- http://www.chinfo.navy.mil/navpalib/ships/carriers/histories/cv17-bunkerhill/cv17-bunkerhill.html
- http://www.history.navy.mil/photos/sh-usn/usnsh-b/cv17.htm
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