ハンムラビ
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ハンムラビ(Hammurabi) | |
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生誕 | 紀元前1810年頃 |
没年 | 紀元前1750年頃 |
ハンムラビ(アッカド語 Hammurabi あるいは ハンムラピ Hammu-rapi)は、都市国家バビロン第6代王。 後に、メソポタミアに勢力を拡大しバビロニア帝国の初代王となる。 アムル人。
ウル・ナンム法典に次ぐ人類最古の記録された法律、ハンムラビ法典の整備で知られる。
目次 |
[編集] 名前の語源
- アモリ語(アムル人:セム語圏北西部で使用されていた): ˤAmmurāpi:「父方の親戚は治療者」 、アムル人の間で親族関係を示す語で呼ばれる神が多かったことから、「(父方の)おじさん(と呼ばれる神)は偉大である」
- ˤAmmu:父方の親戚 、父方のおじ
- Rāpi:治療者
[編集] 略歴
ハンムラビは都市国家バビロンに樹立されたバビロン第一王朝の第6代目の王であった。当初はイシン、ラルサ、マリといった当時メソポタミアに覇を競った大国間に挟まれた弱小国の王であったが、次第に頭角を現してメソポタミア地方を統一し、シュメール及びアッカドの地の王の地位を獲得した。都市国家バビロンがシュメール及びアッカドの地を統一したことにより、この地域はバビロニアとも呼ばれるようになった。ハンムラビはこの領域国家として統一されたバビロニア王国最初の王となり、死ぬまで王として統治した。その治世は、紀元前1792年から死の年である紀元前1750年まで、あるいは年代測定法の違いにより紀元前1728年から紀元前1686年までにわたる。
ハンムラビは当初、南方の諸都市を征服してバビロンを拡張し、後にメソポタミアのほとんどの地域を征服するに至った。
学者の中には、ハンムラビと『旧約聖書』の『創世記』に登場するバビロンの王ニムロデを結びつけるものもいる。ハンムラビの名は「偉大なるハム」とも解釈可能である。ニムロデはノアの三男、ハムの孫にあたり、バベルの塔の建設者とされる。
[編集] ハンムラビ法
ハンムラビは『ハンムラビ法典』と呼ばれる法典によって都市文明を確立したことで有名である。『ハンムラビ法典』は被害者や加害者の身分によって刑罰に違いを付け、身体刑を多く科すため、現代の視点からは残酷であると見られる。しかし成文法を作るだけでなく、法を体系化しようとしたことは、文明の発達にとって重要な一歩であるとみなされる。『聖書』にある「目には目を、歯には歯を」という言葉は『ハンムラビ法典』に遡ることができ、同害復讐法体系との関連が指摘されている。ハンムラビはこのほかにも、灌漑手段改良への援助を行うなど、バビロンの改良に努めた。
バビロン第一王朝第11代の王サムスディタナの時代にムルシリ1世に率いられたヒッタイト人の急襲に遭い、バビロニア王国は壊滅した。すぐに、アグムカクリネ王に率いられたカッシート人が奪回した。多くの都市の反抗に遭いながらも、カッシート人は400年にわたって支配を続け、ハンムラビ法典を尊重した。
[編集] 参照
- Arnold, Bill T. (2005). Who Were the Babylonians? Brill Academic Publishers. ISBN 9004130713
- Breasted, James Henry (2003). Ancient Time or a History of the Early World, Part 1. Kessinger Publishing. ISBN 0766149463
- DeBlois, Lukas (1997). An Introduction to the Ancient World. Routledge Publishing. ISBN 0415127734
- Van De Mieroop, Marc (2005). King Hammurabi of Babylon: A Biography. Blackwell Publishing. ISBN 1405126604
- Babylonian Law. Britannica, 1911.
先代: シン・ムバリト(Sin-muballit) |
バビロン第一王朝の王 |
次代: サムス・イルナ(Samsu-Iluna) |