ドルフィン (SS-169)
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艦歴 | |
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発注: | |
起工: | |
進水: | 1932年3月6日 |
就役: | 1932年6月1日 |
退役: | 1945年10月12日 |
除籍: | |
その後: | スクラップとして売却 |
性能諸元 | |
排水量: | 1,560トン |
全長: | 319.1 ft |
全幅: | 27.9 ft |
吃水: | 13.1 ft |
機関: | |
最大速: | 17ノット |
兵員: | 士官、兵員57名 |
兵装: | 4インチ砲1門、21インチ魚雷発射管6門 |
ドルフィン(USS Dolphin, SF-10/SSC-3/SS-169)は、アメリカ海軍の潜水艦。Vボートの一隻で同型艦は無い。艦名はイルカに因んで命名された。その名を持つ艦としては6隻目。当初の艦名はV-7であり、船体番号はSF-10/SSC-3であった。
[編集] 艦歴
ドルフィンはメイン州キタリーのポーツマス海軍造船所で起工した。1932年3月6日にE・D・トーランド夫人によって命名、進水し、1932年6月1日に艦長J・B・グリッグス少佐の指揮下就役する。
ドルフィンは1932年10月24日にニューハンプシャー州ポーツマスを出航し、12月3日にカリフォルニア州サンディエゴに到着、第12潜水戦隊に合流する。ドルフィンは1933年3月4日まで西海岸で戦術訓練および魚雷発射試験に従事し、その後東海岸に向かう。3月23日にポーツマス海軍造船所に到着し最終公試および報告を行い、8月1日まで留まる。ドルフィンは第12潜水戦隊に再び合流するため1933年8月25日にサンディエゴへ戻った。
ドルフィンは西海岸を巡航し、時折訓練および艦隊の問題のため真珠湾、アラスカ、パナマ運河地帯へ航海した。1937年12月1日にドルフィンはサンディエゴを出航し新たな母港の真珠湾に向かう。真珠湾には一週間後到着し、艦隊演習及び訓練を継続した。1940年9月29日から10月25日までは西海岸を巡航した。1941年12月7日の真珠湾攻撃の際には砲火の下敵機への攻撃を行い、その後は日本の潜水艦を探索するためハワイ諸島を偵察した。
ドルフィンは1941年12月24日に真珠湾を出航、最初の哨戒に出撃し後の空襲に備えてマーシャル諸島を踏査する。1942年2月3日に修理のため真珠湾に戻り、5月14日に再び出航する。6月3日から6日のミッドウェー海戦ではミッドウェー島の西方を広範囲に探索した。6月8日から6月11日に修理を行いその後哨戒を再開、油槽船と駆逐艦への攻撃を行い7月24日に真珠湾に帰還した。
ドルフィンの3度目の哨戒は1942年10月12日から12月5日まで風雨の激しい千島列島で行われた。新型の潜水艦が哨戒任務に就くようになると、ドルフィンは真珠湾での訓練任務に割り当てられ、1944年1月29日まで従事した。その後パナマ運河地帯で訓練を行い、コネチカット州ニューロンドンに3月6日に到着、訓練艦任務を命じられる。ドルフィンは終戦までこの基礎的な任務に従事し、1945年10月12日にポーツマス海軍造船所で退役した。
ドルフィンは1946年8月26日に売却された。ドルフィンの3度の哨戒の内、2度目が成功として記録された。ドルフィンは第二次世界大戦の戦功で2個の従軍星章を受章した。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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