ドラゴン・スープレックス
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ドラゴン・スープレックス(Dragon Suplex)は、プロレスの投げ技の一種でありスープレックスの派生技の一つである。
技の名称は、発案者である"ドラゴン"藤波辰爾のニックネームに由来する。日本名は飛龍原爆固め。
相手の後方から羽交い絞め、いわゆるフルネルソンの状態に捕らえる、直前のモーションだけで会場が大きくどよめく藤波辰爾の大技。
過去の全日本プロレスでは新日本発祥の技を敬遠する傾向にあったためフルネルソン・スープレックス(Full nelson suplex)と呼称していたが、近年は国内団体の増加と交流が盛んになったため、名称は使用するレスラーの任意となる傾向にある。
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[編集] かけ方
相手の背後からフルネルソン(腋から腕を通して後頭部で手をロックする)の状態から後ろに投げ、そのままブリッジで相手をフォールする。投げられた相手は腕を極められている上に首からマットに叩きつけられる為、受身を取り辛く、フォールを返すことが非常に困難な技である。落ちる角度が急になるので危険度は高い。藤波によれば、修行先でカール・ゴッチから「強靭なブリッジ力があれば、フルネルソンの体勢からでも投げられる」と言われたことがヒントになったという(本来は相手の頚椎を痛める行為である為、「ブリッジからのレフェリーストップが目的の技だった」と言われている)。
[編集] 来歴
1978年1月、WWWF(現・WWE)でのホセ・エストラーダ戦にて初披露、見事ギブアップを奪う。次いで凱旋帰国後の第一試合でマスクド・カナディアン相手に炸裂させ、日本のファンに強烈な印象を与えた。このように、藤波がジュニアヘビー級で活躍するきっかけになった技であるが、藤波がWWWFで活動していた当時の対戦相手の首の骨を痛めてしまったために、対戦相手およびプロモーターの要請により技の使用を停止することになる。
新日本プロレスで長州力率いる「維新軍」が全日本プロレスに移籍した後、将軍KYワカマツ率いる「マシーン軍団」との抗争で技の封印を解除。試合後のコメントで藤波は「タイミングが合えばアンドレだろうがブン投げる」とまで発言していた。
まさに必殺技と呼ぶに相応しい技であるが、その威力を知るがゆえに警戒され、腰を屈める、足をかけるなどしてかわされることも多い。腰を痛めて以来、使用しなくなった藤波にかわり、今も多くの使い手が受け継ぐ人気の技である。
武藤敬司がスランプより復帰し、当時の王者橋本真也が保持していたIWGPへ挑戦した時に、橋本の体をブリッジで支えられず、前歯が何本も抜けてしまった。それ以来は使用していない。
[編集] 主な使い手
- 藤波辰爾
- 一時期、危険すぎるという理由で使用しなかった。また、腰を痛めて以降、藤波はこの技を一度も出したことがない。
- 前田日明
- IWGPリーグ戦での藤波との一騎討ちの際、元祖の藤波相手に繰り出した。
- ゲーリー・オブライト
- ホールドなしのフルネルソン・スープレックスとして。藤波のものとはクラッチが異なる(両方の手で拳を固め、後頭部を押す)が、ほぼ同形。失神者を量産した。
- 大谷晋二郎
- ジュニア時代からフィニッシュホールドとして大事に使っている。この技で金村キンタローを仕留め、3秒という試合時間を記録、東京スポーツの一面を飾った。
- 棚橋弘至
- 藤波から直接、伝授された。
- 望月成晃
- 滅多に出さない切り札。
- 大森隆男
- 望月・大森共に奥の手としているため、通常の試合では滅多に使わない。更なる奥の手としてロコモーション式を繰り出す事もある。
- 杉浦貴
- ビッグマッチ限定で突如超高速式で放つ。
- 越中詩郎
- ジュニア時代から使っており、ヘビーに転向してからは投げっぱなし式も併用している。
架空の人物では、格闘ゲーム「バーチャファイターシリーズ」のキャラクターであるウルフ・ホークフィールドも必殺技としている。ちなみに1997年から2000年にかけて、全日本プロレスとセガのタイアップによりジム・スティールが現実のウルフとして試合を行った事があったが、この技は披露されていない。
[編集] 派生技
- ハーフネルソン・スープレックス
- 片腕だけをロックした状態で投げる小橋建太のオリジナル技。フォールはせず、投げっぱなしで放つ。吉江豊も得意技としている。
- タイガー・スープレックス'85
- 相手の片腕をフルネルソン状態でロックしたまま、逆の腕を相手の脇の下から「たすき掛け」に通しクラッチ、そのままスープレックスに持っていく。三沢光晴が2代目タイガーマスクとして活躍していた時期に対小林邦昭戦で初披露。三沢の奥の手ともいえるオリジナルホールドで、前述の試合の他は対小橋建太など使用実績は数回。