タ・モク
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タ・モク(Ta Mok, 1926年 - 2006年7月21日)は、カンボジアの軍人、ポル・ポト派最高幹部の一人。本名はチヒット・チョウン(Chhit Choeun)とされるが不確かである。他には Ek Choeun, Oeung Choeun となどとされる。
彼は1940年代に反フランス抵抗活動に参加し、続いて反日抵抗活動を行った。1964年に反フランスのクメール・イサラクに参加したとき、彼はパーリで僧職を学んでいた。彼はプノンペンを去り、クメール・ルージュに加わった。1960年代の終わりまで彼はクメール・ルージュの将軍および高官となった。1970年頃の戦闘で片足を失っている。彼は民主カンプチアにおける粛清を指揮したと考えられており、「The Butcher(屠殺屋)」の異名を持つに至る。
クメール・ルージュ政権が1979年に倒れた後もタ・モクは実力者としてアンロン・ベンに本拠を置き、クメール・ルージュに残された支配地域の北部をコントロールした。1997年には党の分裂に伴い、タ・モクはそのうちの一派を率い自身を最高司令官に任命した。彼は病気のポル・ポトを拘束し、ポル・ポトはタ・モクの下で1998年に死んだ。
1998年には幾つかの要因でアンロン・ベンからの避難を余儀なくされた。1999年3月6日にタ・モクはタイ国境近くでカンボジア軍によって逮捕され、プノンペンに連行された。タ・モクは最後に残されたクメール・ルージュの有力指導者だった。他の者は死ぬか、生き残ったヌオン・チャ、キュー・サムファン、イエン・サリらは既にフン・セン政権と司法取引を行っていた。
刑務所に於いて彼の拘留期間は告発されることなく繰り返し延長された。カンボジアの法律の下では、彼の裁判は逮捕後六ヶ月以内に開始されることになっていた。当初彼はクメール・ルージュのメンバーとしての責任と脱税に関して罪を問われ、2002年2月に人間性に対する犯罪で告発された。彼の健康状態は不安定で、唯一の仮釈放は病院へ行くためだった。
2006年7月21日午前5時(日本時間午前7時)ごろ、プノンペン市内の病院で死亡、80歳だった。