ズィンミー
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ズィンミー(アラビア語:ذمي; Dhimmī)は、ムスリム支配者の統治下に生活するキリスト教徒やユダヤ教徒をはじめとする異教徒に対するイスラーム法上の地位、またそこからそれらの異教徒そのものを指す用語。イスラーム支配下では、その地に住む異教徒はムスリム支配者との契約(ズィンマ契約)を結ぶことになるが、その契約を結んだ者が「ズィンマの民」すなわちアフル・アル=ズィンマあるいはズィンミーと呼ばれる。アラビア語「ズィンマ」は保護の意で、ズィンミーは「被保護民」「庇護民」と訳される。ズィンマ契約は、非ムスリムが、ムスリム統治者による統治に服し、ジズヤと呼ばれる特別の税金を支払うことと引き換えに、差別や人権の制限はつくものの、彼らの信仰・名誉・生命・財産権を保障するものである[1][2][3][4]。
ズィンミーとなることが出来るのは最初啓典の民に属するキリスト教徒とユダヤ教徒のみであったが[5]、後にゾロアスター教徒やヒンドゥー教徒、および仏教徒などにも適用された。
ズィンミー制度はイスラームの寛容性の象徴として取られることも多いが、不平等な共存であったことも事実である。ただしムガール帝国においては異教徒に対してジズヤの廃止など極めて寛大な政策が採られ、完全な水準に近い程度の信教の自由が保障された事実があり、現在でも信教の完全な自由を擁護するリベラル派のムスリムが存在しているなどムスリムの側からこの不平等な共存を乗り越える動きが存在しているのも事実である。
目次 |
[編集] ズィンミーの人権とその制限
支配者が保護した学派・時代・地域によっても異なるため、一般的事実のみを記述する。
- 自身の信教の自由は基本的に保障されるが、ムスリムへの布教を行った場合死刑となる。
- 宗教施設の修理は許可されるが、新設は原則禁止。ただし降伏協定に特別の定めがあった場合や支配者が許可した場合は例外的に認められることもあった。そのような場合でもムスリムの居住地域には宗教施設の新設は許されない。
- イスラム教徒の女性とセックスを行ったことが判明した場合、死刑となる。無論イスラム教徒の女性との婚姻も認められない。対してムスリム男性はズィンミー女性と自由にセックスができる。
- イスラームの支配者が敵と認めた勢力を支援することは禁止。
- 妻がイスラム教に改宗した場合、改宗か離婚かを強制的に選択させられる。
- イスラム教徒に権力を及ぼす地位に就く事が制限される。
- ジズヤと呼ばれる特別の税金を払わねばならない。ただし軍役の免除という見返りはある。
- 武器の携帯が禁止される。地域、時代によっては馬やラクダへの騎乗が禁止された。
- 刑法上イスラム教徒よりズィンミーの命や権利は軽いものとされることが多い。[6]
- 地域や時代によってはムスリムと区別するために服装の制限があった。
- 大声での礼拝や教会の鐘を高く鳴らす行為などムスリムの前で信仰を誇示するような行為は厳しく制限される。
- イスラーム教とその預言者ムハンマド、聖典コーランに関する批判は一切禁止され、違反した場合死刑。一方ムスリムがズィンミーの信仰を批判することはイスラームの優越性の原理により許される。[7][8]
- ズィンミーの住居はムスリムのそれより平均して小さい方が望ましいとされる、ただし義務ではない。
- ムスリムの前で酒や豚などの飲食物を摂取することは望ましくないとされた。
- 死者の葬儀、埋葬は密かに行うべきとされ、嘆き悲しむ声をムスリムに聞かせるべきではないとされる。
- ズィンミーが元の宗教およびイスラーム以外の宗教に改宗することは時代と地域によっては禁じられる場合があった。
[編集] ズィンミーと強制改宗
イスラーム法では『宗教に無理強いは禁物』というコーランの文言を根拠にズィンミーに対する強制改宗を(すくなくとも建前の上では)明確に禁止している。ただしワッハーブ派の一部を含む過激派・原理主義者は、この条文は多神教者や無神論者には当てはまらないとすることもある。また現実の統治に於いては少なからずズィンミーに対する強制改宗が行われ、とりわけ12世紀以降のアルアンダルスに於けるユダヤ人とクリスチャンへの迫害は厳しいものだった。イスラーム法では棄教は基本的に死刑とされているため、強制改宗させられた側が元の宗教に復帰する場合はそれがコーランの条文に叛く明白な強制改宗であったことを立証することが必要であり、極めて困難だった。
他にもアウラングゼーブ時代には『剣かコーランか』という要求がヒンドゥー教徒や仏教徒に対して突きつけられた。これに対しては上記の原理主義的イスラム法理解を踏まえ、彼等をズィンミーとしてすら遇さないという意識を持ってやったのか、それともそのように計算されたものではなく唯単に反異教徒感情をぶつけただけなのか見解が分かれている。当時はそのような原理主義的イスラム法解釈は少数派であったことをかんがみれば、理論上はともかく現実としてはアウラングゼーブの行為もまた『イスラーム法違反』であるという折衷的見解もある。
ただしこれらの『イスラーム法違反』は通常厳しく批判されることは少なかった。
また狭義の強制改宗でなくとも、ズィンミー身分の強制による社会的圧迫は非ムスリムに大きな負担と屈辱を与え、結果として多くのズィンミーはイスラームへの改宗を余儀なくされた。
[編集] ズィンミー制度と反ユダヤ主義
ズィンミー制度はイスラーム教圏に於いて、制度化された『穏健な』反ユダヤ主義を生み出す一因となったという意見もある。キリスト教ではユダヤ人に対する取り扱いを教義として定めておらず、故にユダヤ人はキリスト教圏では露骨で感情的な反ユダヤ主義に基づく極めて厳しい迫害を受けた。しかしイスラム教圏ではあらかじめイスラームの絶対的優位の元ユダヤ人を厳しい差別待遇下で共存させる制度が完備されており、反ユダヤ感情をある程度満足させキリスト教圏のようにユダヤ人に対する露骨な反ユダヤ主義が噴出するのを防いだというものである。ただしこの『穏健な反ユダヤ主義』は、無論ユダヤ人にとっては恐怖と屈辱を招くものであったことは現在イスラエルなどに居住する東方ユダヤ人の証言などで広く知られている。[9]
一方で十九世紀以降には近代化と啓蒙主義により『真の』ズィンミー制度は崩壊へと向かっていたため、故郷で比較的リベラルなムスリムの友人に恵まれた東方ユダヤ人の中には、一定のユダヤ人差別を認めつつも現在のイスラエル対イスラムの対立に比べれば遙かに良かったとこの時代を懐かしいと語る人間も存在している。イスラエル以前のパレスチナでのムスリムとユダヤ人との共存を懐かしむユダヤ知識人などもこのグループに属する。
[編集] ズィンミー制度への評価
当時のイスラム教国に於いてユダヤ人やキリスト教徒を始めとする異教徒との共存を曲がりなりにも可能としたという点でズィンミー制度を高く評価する声もある。とりわけユダヤ人については欧州での扱いに比べてイスラム教世界での待遇は良好であり、多くのユダヤ人がイスラム宮廷で活躍した側面もある。しかし一方で非ムスリムへの厳しい差別を行い、二等市民扱いした制度でもあり、ムスリム・非ムスリム問わず信教の完全なる自由と平等を擁護するものからは強い批判を浴びている。
[編集] ズィンミー制度の残滓とイスラム教国での異教徒差別
ズィンミー制度の残滓は現在のイスラム教国でも場合によっては残存しており、イラン、サウジアラビア、アフガニスタンなどではシャリーアが国法となっているため異教徒はズィンミーと同様の地位に置かれているとされている。保守派ムスリムの中にはイスラム教徒の支配する国では異教徒の人権は制限されて当然であり、差別待遇の改善を求めることなど反イスラム行為であって許されないという意見もある。[10][11]
[編集] その他
日本国においては、日本国憲法で信教の自由が完全な形で保障されており、いかなる宗教を信仰しようと自由であり、宗教信仰を理由とする国家の差別的取扱いも禁止されている。よって、例えば、イスラム過激派が本人の意に反するズィンミー制度の実行を強制するようなことはできない。また、仮にズィンミー身分を強制されるなどにより、著しい権利侵害を受けた場合には、日本国裁判所はイスラム教の教典の解釈に立ち入って審判することはできないが(部分社会論)、民法第90条間接適用・同709条などにより加害者に損害賠償を求めることができると考えられる。
[編集] 参照
- ^ 高野太輔 (2002). "ズィンミー". 岩波イスラーム辞典. Ed. 大塚和夫ほか. 岩波書店. 529.
- ^ 後藤明 (2002). "ジンミー". 新イスラム事典. Ed. 日本イスラム協会. 平凡社. 294.
- ^ 池内恵 (2003). "ズィンミー". 国際政治事典. 弘文社. 492.
- ^ 池内恵 (2003). "ジハード". 国際政治事典. 弘文社. 428,429.
- ^ コーラン第9章29節の『アッラーも、終末の日をも信じない者たちと戦え。またアッラーと使徒から、禁じられたことを守らず、啓典を受けていながら真理の教えを認めない者たちには、かれらが進んで税〔ジズヤ〕を納め、屈服するまで戦え。』という文言に見られるように、当初は啓典の民以外には剣かコーランかが突きつけられた
- ^ 例えば、ハナフィー学派以外のイスラーム法学者は伝統的にイスラーム教徒によるズィンミーの殺害に対する最高刑は罰金刑と定めていた。ハナフィー学派のみがムハンマドがズィンミーを殺害したムスリムを死刑に処したというハーディスを元に死刑を含む刑罰を認めていた
- ^ 『イスラーム法入門』p117
- ^ 『アラブ政治の今を読む』p224
- ^ イスラム世界におけるユダヤ人の恐怖
- ^ イスラミックセンター イスラーム国家、その本質と特色 ここではイスラム教徒が多数派を占める国では非ムスリムは差別されて当然であると主張されている。無論信教の自由と平等に対しては相反する主張である。
- ^ 『アラブ政治の今を読む』p225~228