ステファン・バナフ
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ステファン・バナフ(Stefan Banach, 1892年3月30日 - 1945年8月31日)はポーランドの数学者(日本ではドイツ語ふうに「バナッハ」と表記されることが多い)。
[編集] 概要
オーストリア=ハンガリー帝国領(当時)のクラクフに生まれる。
ルヴフ工科大学にて工学を学ぶも、数学の才能を認められ数学者に転じる。1920年の博士論文では、こんにちバナッハ空間とよばれている概念が導入されており、この論文は現代的な関数解析の幕開けを告げるものとして高く評価されている。
1924年にはルヴフ(現ウクライナ・リヴィウ)のヤン・カジミェシュ大学教授に就任。教科書などを精力的に執筆し、1939年にはポーランド数学会会長に選ばれる。戦時中はナチスに逮捕されながらもなんとか生き延びたが、1945年、肺癌によりルヴフで没した。
[編集] 関連項目
- バナッハ=タルスキーのパラドックス
- ハーン=バナッハの定理