ジオット・キャスピタ
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ジオット・キャスピタ(JIOTTO CASPITA)とは、1988年に服飾メーカーのワコールの出資で設立された会社「ジオット」が企画し、レーシングコンストラクターの童夢に開発・製作を依頼。1989年に市販化を前提に発表されたスポーツカー(スーパーカー)の車種名。
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[編集] 開発開始
1988年、「公道を走るF1マシン」(F1 ON THE ROAD)を目指して開発された和製スーパーカーの1台。当時、ワコールはレース活動を通じてスポンサーとチームという形で童夢と深いつながり(共に本社は京都府にある)があり、「ジオット」ブランドによるイメージリーダーカーとしてプロジェクトが立ち上げられ、開発が開始された。1989年の第28回東京モーターショーで参考出品という形で発表され、1991年の市販開始を予定して更なる開発が続けられた。当時の運輸省への認可申請も、イギリスからの輸入車という形でクリア。同時期に開発されていたヤマハ発動機のOX99-11とともに、日本初の量産スーパーカーとして期待された。
[編集] メカニズム
1076mm(低車高時)という極端に低い車高と、ガルウイング式のドアが外観上の特徴。車体は童夢のノウハウをつぎ込み、空力を徹底的に追求した設計が施された。アンダーフロアにまで配慮し、可変式のリアスポイラーとともに車体全体でダウンフォースを発生させる構造となっていた。「国産スーパーカー」のパワーユニットに選ばれたのは、富士重工業(スバル)がイタリアのモトーリ・モデルニ社とF1参戦用に共同開発した、3.5リッター水平対向12気筒DOHC5バルブ。これを公道走行用に450psまでデチューンし、ミッドシップに搭載する予定であった。
[編集] 計画変更~終焉
しかし、エンジン供給を受ける予定であった富士重工業は、1990年からF1への参戦を開始したものの、当時のレギュレーションに設定されていた予備予選を1度も通過することなく、1990年シーズン半ばにF1から撤退。搭載が決定していた水平対向12気筒エンジンの製造が中止されると、新たなパワーユニット捜しを行わなければならなくなった。日産製のV型6気筒ターボやホンダ製のF1エンジンなど、様々な検討が行われたが、結局はエンジンデベロップメント社のジャッドエンジンV型10気筒(585ps)が選ばれた。しかし、元々水平対向エンジンを搭載するよう開発されていた車体にV型エンジンを搭載することになったため、大幅な設計の変更を余儀なくされた。
結局、1993年に2台だけ完成し、ナンバープレートの取得もできたものの、すでにバブル景気は崩壊。仮に1台1億円で販売したとしても赤字になるほどの開発費がかさんでいたため、同車が一般消費者に販売されることはなかった。