ザ・ギャザリング
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ザ・ギャザリング(The Gathering)は、ゴシックの本場、オランダ出身のゴシックメタルバンド。
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[編集] 概要
当初は従来の男性デスボーカルだったが、3rdアルバムから女性ボーカルの Anneke van Giersbergen に替わった。その3rdアルバム『マンディリオン』は耽美さの中に民族的・精神的・廃退的な色合いが強く、ゴシックメタルの名盤にあげられる。
5thアルバム『ハウ・トゥ・メジャー・ア・プラネット?』辺りから他の同期のゴシックメタル・バンドがそうしたようにシンセ・ロックやプログレッシヴ・ロックへと傾倒し、若干ゴシックメタルの音楽性から離れつつある。最近ではトリップ・ホップやオルタナティヴ・ロックの要素を取り込み、独自の世界を築いている。
2007年6月、バンドの看板シンガーであったAnneke van Giersbergen が脱退を表明し、彼女自身のバンドAgua de Anniqueの活動に専念することとなる。
[編集] 歴史
[編集] 初期(結成~アネクとの出会い)
1989年、オランダの小さな町オスにて結成。Hans Rutten (Drums)、Rene Rutten (Guitars) 兄弟と、Bart Smits (Vocals) により、ザ・ギャザリングの歴史がスタートした(Hansが3つ年上の兄でReneが弟)。翌1990年に Hugo Prinsen Geerligs (Bass)、Jelmer Wiersma (Guitar)、Frank Boeijen (Keyboards) が加わり、最初のラインナップが完成。自主制作盤An Imaginary Symphonyを制作する。
1991年、2本目のデモMoonlight Archerを完成。ヘヴィなギター・リフにグランド・ピアノが絡み、デス・ヴォイスが乗る独特のゴシック・メタルが評価され、インディーズ・レーベル Foundation 2000 よりお呼びが掛かる。初期のデモ2作は、長いこと入手不能だったが、2001年になってDownfall - The Early YearsとしてHammerheartより復刻された。初回盤は何と2枚組で、ボーナス・ディスクには貴重な第1期のライヴも収録されていた。
1992年、1st.アルバムAlways...でデビュー。前述の通り、結成当初はデス・メタル寄りのゴシック・バンドであった。売上は1万枚を超え、インディーズとしては十分な成功を収める。アルバムはアメリカでも発売され、ジャケットは計3種類もあった。(1)青空の下、岩場に立つアラブの女性を写したものがオリジナルで、他に、(2)赤を基調とした女神の絵画のもの、(3)球形に穴の空いた謎の物体を写したもの、がある。「Slowly...」という咆哮でスタートするオープニング曲「Mirror Waters」、「Always, always...」という女性コーラスが入る「Stonegarden」あたりが聴き所。
1993年、新作のマテリアル作りに入るが、コアな方向性に拘る Bart と、より多くの聴衆を求めてポップ化を主張するメンバーとが対立。Bart が脱退する。新たなメンバーとして、バンド Niels Duffhues と Martine van Loon の男女2人を加入させ、2nd.アルバムAlmost A Danceを発表する。Niels は Bart ほどデス声ではないものの、爬虫類的なダミ声の持ち主である。Martine van Loon は外見が美しかったことから、ジャケットでは大きく扱われているが、頼りないエンジェル声であるため、バンドはバック・コーラスと考えていたようである。明らかにポップ化したギターと、ダミ声がミスマッチで、2nd.は歴代作品では最も評価が低い。しかし、よく聴くと、次作での大ブレイクに繋がるハッとするメロディーもある。特にオープニング曲「On A Wave」はなかなか良い曲だ。このラインナップはこの年のみで終了。
1994年、バンドに転機が訪れる。新たなシンガーとして、当初、バンドはまた男女2人のヴォーカルを探していた。そしてあるパブで歌っていたアマチュア・ポップ・デュオの片割れに声をかけた。「女性コーラスを探しているので、セッションに参加してくれないか?」。これが Anneke van Giersbergen との出会いであった。ところが、独特の雰囲気に加え、十分な声量を持っていた Anneke の歌声を聴いて、「これなら男性ヴォーカルは要らないのではないか?」と思い始めたと言う。こうして予定していなかった「紅一点」の編成が完成する。
[編集] ゴシック・メタル期
1995年、Anneke をリードに録音されたデモは素晴らしいものであった。それまでの「ゴシック・メタル」とは、デス声にキーボードや女性コーラスなど美しい要素を加えて、叙情性を出したものの名称であった。しかし、ザ・ギャザリングのMandylionは、女性を「主役」に据え、ヘヴィなバックに負けない声量のある声で、堂々と引っ張る新しいものだった。その完成度に驚いた準大手 Century Media と、即座に契約が成立。後に代表作となる3rd.アルバムMandylion(マンディリオン)が完成した。
キリストの亡骸を包んだ布=聖骸布(マンディリィオン)を冠したこのアルバムは、その名の通り、どこか宗教的な儀式性を持ち、ヘヴィでありながら、妖しく美しい、独特の魅力を持ったサウンドに仕上がった。BLACK SABBATH的なリフを中心とした「統一作風」ながら、多彩なメロディーはどれも覚えやすく、瞬く間に欧州に旋風を巻き起こした。紅一点の珍しさもあり、シンガーの Anneke は欧州ロック界のヒロインとなった。
Century Media 主宰のコンピレイション「IDENTITY II」にも収録曲「In Motion #1」が収録され、サンプル盤代わりに各国のプレスに配布された。しかし、この時の曲名は間違っていた。「Leaves」と誤表記されてしまったのである。ここ日本ではBAY FMのPower Rock TodayでOAされた。DJの伊藤政則氏が 1st.アルバム「Always...」を高評価していたこともあってか、「オランダのバンドなんだけど、(サウンド)変わっちゃったなぁ」という冴えないコメントを頂いただけだった(雑誌での評価も80点)。しかし、聴いたファンの方は、曲の良さに驚いたようで、口コミで徐々に輸入量が増え、後に発売された日本盤(2曲増曲)と殆ど変わらない枚数を売り上げた。
更に、初のシングルも切られた。Mandylionのオープニング曲であり、バンドの代表曲となったStrange Machinesである。B面にはEdit/Fullに加えライヴ2曲を収録。
1996年、ダイナモ・オープン・エア・フェスティヴァルに出演。1年間ツアーに明け暮れた成果は、聴衆の大声援となって現れた。ここでは新曲「Adrenaline」および「Third Chance」を披露。同時にフェスティヴァル出演記念の 2nd.シングルAdrenaline/Leavesとしてリリースされた。実は、「Third Chance」こそ、Anneke とバンドが最初に録音した曲である。しかし、「this whole world / could explode around us / will they ever know / we had a third chance」というくだりが、第三次世界大戦を想起させて危険なのでは? との配慮から、Mandylionへの収録が見送られた経緯がある。ちなみに、両曲が追加収録された日本盤の歌詞カードでも、別ヴァージョンとして再収録された 4th.アルバムNighttime Birdsでも、その Middle 8 (Bridge) の部分は、歌詞に載っていない。※この詞は、当時はまだファンと直接メールしていたフランク・ボイエンから教えて貰ったものである。
ちなみにこの録音作業中に、面白い出来事があった。女性メンバーが珍しかったのか、隣のスタジオで録音していたドイツのヘヴィ・ロック・バンドFARMER BOYS(1996)よりデュエットのお誘いがあり、Depeche Modeのカヴァー「Never Let Me Down Again」に参加したのである(アルバム「Countrified」に収録)。オリジナルより動きを付けたメロディーが好評で、何とシングルにもなったらしい。
ブレイクを果たしたザ・ギャザリングは、ツアー中も休むことなく次のアルバムの曲作りを行い、また一部の曲はツアー中に録音されたという。
1997年、4th.アルバムに先行して発売された3rd.シングルThe May Songを聴いて、ファンは少なからず驚いた。ヘヴィなリフが消えた、3分のポップ・バラードになっていたからだ。更に、B面曲も、劇的ではあるものの、ヘヴィ・リフは少ないゆったりした曲。曲は良いが、「売れたら丸くなってしまうのか?」との不安が広がった。しかし、発売されてみると、4th.アルバムNighttime Birdsはイントロからヘヴィなリフが炸裂。ファンはほっと胸をなで下ろした。殆どの曲がツアー中に書かれたにも関わらず、名作と言われる前作に劣らぬ完成度であった。更に、新たに導入した「静かなパート」も、全体を聴いてみれば納得の展開で、バラエティに富んだ名作として、高く評価されている。
ツアーの援護射撃に、4th.シングルKevin's Telescopeが切られ、中ヒットになっている。この曲は、珍しく割とメジャー・コード(長調)を多用したナンバーで、ゴシック独特の「暗さ」がない。盛り上がりも劇的で、ライヴ映えする曲と言える。B面には、初の試みとして、カヴァー曲2曲が収められていた。カルト的な人気を誇るゴシック・ユニット DEAD CAN DANCE の「In Power We Entrust The Love Advocated」と、Slowdive(後のMojave3)の「When The Sun Hits」である。いずれも、漂うような Anneke の歌唱が特徴。「変わった方向性の曲を持ってきたな?」とファンは不思議に思った。この「?」は、次のアルバムではっきりと形を取ることになる。
[編集] イェルマーの脱退~脱メタル
1998年、バンドは公式サイトにて、Jelmer Wiersma の脱退を発表する。家族と離れてのツアーに疲れた事と、エンジニアとして裏方に回りたいという本人の希望による、との事だが、その後の詳細は不明で、「引退」であった可能性もある。
続いて、バンドは再び公式サイトで、次のアルバムが2枚組の大作になることを発表する。当初は、先行して発売する限定盤のみ2枚組で、限定盤が売り切れた後は1枚モノにするとコメントしていた。しかし、実際には現在でも2枚組で販売が継続されており、後に方針が変わったようである。更に、30分に達する曲が収められるという。ゴシックは元々ゆったりしたダークな曲が多く、他のジャンルよりも曲は長めであるが、それにしてもこの長さはちょっと異常で、「今更、『プログレッシヴ・ロック』でも演るつもりか?」というコメントが掲示板などで見られた。
発売日だけが予告される中、店頭に並んだ5th.アルバムHow to measure a planet?を見て、リスナーは驚いた。それまではデザインこそ違え、美しいジャケットだった彼らのアルバム。しかし新作は、黄色一色の背景に、宇宙船のアフターバーナー?が大きくプリントされていたのだ。あまりに変わってしまったので、これを見て買うのを辞めたという人もいるという。
実際、サウンドはかなり変化している。ギター1本のハード・ロック編成になったのはメンバーの変遷上仕方ないとしても、明らかに欧州で流行している、トリップ/アンビエントの影響が垣間見られる音である。また2枚のディスクのラスト曲は、それぞれ、9分超、28分超と、意図的に長尺にした形跡が見られる。ヘヴィで劇的な曲も勿論あるし、楽曲は相変わらず良いのだが、ゆらゆら揺らめくアンビエント・サウンドに、ノイズ混じりのギター。ヘヴィではあるがクリアだった前2作とはかなり異なる質感だ。
5th.シングルLiberty Bellはラジオ向けのEditヴァージョンのみの収録で、Fullは収録されなかった。珍しく全編メジャー・コード(長調)の曲だが、流石に顔となる曲だけあって良い。プロモーション・ビデオは宇宙服を着てはしゃぐ Annneke 1人だけで、バックのメンバーは全く出て来ない。
サウンドが変化したことでファン層も変化した。30分(実際は28分30秒くらい)と9分に触手が伸びたのがプログレッシヴ・ロックのファン。更に、「Marooned」などアンビエントとして聴けば良い曲もあるので、トリップ系好きのファンが新たに付いた(と見る人もいる)。しかし、主戦場である欧州でさえ、代表作Mandylionや、続くNighttime Birdsに比べれば、売上は減少しており、ファンが交替したという表現が正しいか、微妙なところである。しかしながら、良い曲が更に増えたことで、ツアー動員は好調だった。前期と後期に分けて行われ、後期はアメリカ大陸にも渡るなど、バンド史上最大規模のツアーとなった。ツアー終了後、バンドは Century Media との契約以来初めて、長い休暇に入った。公式サイトには「やっと休みが取れる!」というメンバーの喜びの声が掲載された。
ちなみに、いい加減な業者が暗躍する、ビジネスの国アメリカゆえ、トラブルにも巻き込まれている。現地のプロモーターが、移動不可能な日程を組んでしまい、それが当日になって発覚。急遽レンタカーを仕立てて激走するも、間に合わず、コロラド州での大きな公演を1つ中止にしている。怒ったアメリカのファンから、公式サイトに抗議の声が殺到した。この件は、後日「コロラド事件」として、曲になっている(次作if_then_elseに収録)。また、この時のファンの抗議に対し、最年長者の Hans Rutten が「僕らのせいじゃない!」とまともに食って掛かったため、以後、北アメリカのファンとの間に亀裂が生じる結果となった。しかし、初めて踏むアメリカという広大な国で、1度もブッキング・ミスを起こさないのも、結構難しいようである。
1999年、バンドは休暇に入り、大きな動きはなかった。その代わり、初のライヴ・アルバムを1枚リリースしている。Superheat - a live albumがそれ。Jelmer 脱退後の、How to measure a planet? ツアーでの2会場のもの。全10曲と少ないのは、残りの領域に、MPEGビデオが1曲収められているためである。曲は「Eleanor」なのだが、ファイル名のeにアクサンテギュを付けてしまったため、当時のパソコンでは見ることができなかった。日本語OSでは起動直後にDOSプロンプトから、コマンドラインでハードディスクにコピーして漸く見ることが出来た。翌2000年に、多言語に対応したNT系OS Windows 2000 Professional が発売され、初めて普通に見ることが出来るようになった。
2000年、「次のアルバムは、よりオーガニックになる」というアナウンスに続いて、6th.アルバムif_then_elseを発表。前作は「ヘヴィなゴシック・メタル」+「ノイズ」+「トリップ/アンビエント」と言った作風だったが、6th.は、「ヘヴィ/メタル」というキーワードが初めて外れている。即ち、トリップ寄りのゴシック・ロックである。電子音やドラム・ループも使われ、メンバー全員が当時心酔していた「RADIOHEAD」の影響が見られる曲もある(「Analog Park」という気怠いナンバーが特に顕著)。オープニング曲にして6th.シングルRollercoasterはまだまだゴシックであったが、続く7th.シングルAmity EPは多数のRemixも収録した、トリップ・バラードで、「脱メタル」は決定的となった。雑踏の1シーンを写したジャケットは、アート的には評価が高いが、非日常へ連れて行ってくれた、黄金期のカリスマ性はもうなく、都会に似合う身近なMUSICになってしまった事を物語っている。
[編集] 自身のレーベルで活動開始
2001年、クラブ・シーンにも似合う作風となったこともあってか、小さなクラブも積極的に組み込んだツアーを展開。更に、人気が出始めた南米にも足を運び、特にメキシコで熱狂的な出迎えを受ける。ツアー後、メンバーは長い休暇に入り、一旦、ファンの前から姿を消す。実はこの時、ビジネス面で大きな動きがあった。主にメタル系バンドを手掛けるレーベルである Century Media との亀裂が深まり、契約解消が決まったのである。ビジネス的に身軽になったことを利用してか、長らく入手不能だった初期のデモ2作を、初回限定ライヴ映像ディスク付きで、Downfall - The Early Yearsとして、全く別のレーベルからリリースしている。また、同時期、自身のレーベル Psychonaut Records を立ち上げ、Foundation 2000 からリリースされていた1st.アルバムAlways...、2nd.アルバムAlmost A Danceを、リマスタリングして再発売している。自身で丁寧に作業しているため、効果は劇的で、グッと音に奥行きが出ている。
2002年、自身のレーベル Psychonaut Records より、8th.シングルとなる?EPBlack Light Districtを発表。大手レーベルには属さず、新作も自身のレーベルで販売して行くことがアナウンスされた。収録曲は3曲であるが、うち1曲は16分にも達する大作だ。Amity EPのカップリングに収録された TALK TALK の名曲カヴァー「Life Is What You Make It」※ のサウンドと同系統の、気怠いアンビエント・サウンドとグランド・ピアノのサウンドが印象的。※オリジナルはシンセ・ポップのキャッチーな曲。
バンドの意志とは恐らく関係ない、契約消化のためと思われるが、ライヴDVD In Motion が旧所属先の Century Media より発売になった。しかし、アメリカ向けはNTSC+リージョン1(日本はリージョン2)。欧州向けはPAL+リージョンフリー(日本はNTSC)というフォーマットにより、いずれも日本の通常のDVDプレイヤーでは再生できない。唯一、欧州向けをパソコンで見たときだけ、普通に見ることができる。パソコンはソフトウェア的に、NTSC・PAL 両方式に対応しているためだ。ただし、何故か映像にコピーガードが掛かっていないので、パソコンのハードディスクに一旦ステージすれば、アメリカ向けでもVOBモードで見ることができる。しかし、現在でも掛かっていないかは不明なので、リージョンフリーの欧州盤を、欧州の通販サイトで買うのがお勧めだ。
2003年、7th.アルバムSouvenirsを発表(「Memories」の意)。SONIC YOUTHを手掛けた若手プロデューサーと、先鋭的なサウンドを築いている。もはやゴシックと呼べるのは、9th.シングルMonstersくらいのものだ。しかし唯一のゴシック曲がシングルになるあたりが、このバンドに求められている音を物語っていると言えないだろうか? しかし、先鋭的なエレクトリック・ロックと見れば、それはそれで良い作品である。英語圏のプロデューサーが一部詞を手掛けているため、「英語としておかしな表現」がなくなり、歌としてのアピール度はなかなかだ。儀式性や高揚感はなく、Anneke の美声を中心とする、静かな現代ロック。プロデューサーとのデュエット・ソングも収録している。この辺りも、複数のヴォーカルが混在するSONIC YOUTHを手掛けたプロデューサーらしい。
また、一般販売網を経由しない、初めての作品もリリースされている。10th.シングルYou Learn About Itがそれで、大手CDショップにも、ネットCDショップにも、カタログが見当たらない。どうやら、公式通販サイトのみからの出荷のようである。Edit/Fullの2曲を収録する。もはやゴシックの影すら見当たらない、女性ヴォーカルによる美しいバラードである。漂うような歌い方は、若干トリップ・ポップ的。
2004年、ファンから要望の多かった「シングルB面集」をリリースするためではないかと言われているが、一時的に Century Media との関係が復活。アンプラグド(アコースティック)・ライヴ・アルバムSleepy Buildings - A Semi Acoustic Eveningを録音・リリースする。尚、この作品を以て、結成以来 Bass を弾いてきた Hugo Prinsen Geerligs が脱退することが発表された。
2005年、シングルB面+デモ音源を収めた2CD Accessories - Rarities and B-Sides がリリースされた。ただし、期待されたEditヴァージョンが何故か抜けており、あまり納得の行く選曲とは言えないものだった。ファンからはかなりの苦情が来たそうで、これを反省したか?後に Nighttime Birds のリマスター・再リリースの際、シングルB面を改めて大量収録している。また、2作目のライヴDVD A Sound Relief も、自身のレーベルより、同年リリースされている。公式サイトには All Regions(リージョンフリー)とあるが、アマゾンの2nd.ロット出荷分にはリージョン2とあり、詳細は不明。
[編集] アネク最後の参加アルバム
2006年、8th.アルバムHomeを発表。RADIOHEAD や SONIC YOUTH といった、アンビエント或いはノイズ・ロック的な無機質さが全編を覆っている。1990年代の作品とはメロディーの質が根本的に違っており、高揚感のあるロックは一切ない。逆に、非常にベーシックな音でもあり、5th.~7th.にかけて展開してきたゴシック・トリップ・ロックともまた違っている(この作品の評価は、若いファンに任せるとしよう)。欧州で一部ツアーに制限がかかったと言われるが詳細は不明。代わりに南米などもくまなく周り、オランダに戻っている。
2007年は、アメリカ・カナダを中心にツアーを行った。同時に、Anneke のソロ・プロジェクトもスタートしている。そして5月、Anneke が自分の時間を、より家族そして自身のプロジェクトのために使うべく、バンドを離脱することが発表された。さよなら Anneke ツアーも行われ、8月、多くのファンに見送られ、13年間バンドを率いた「暗黒の歌姫」=Anneke van Giersbergen はバンドを離れていった。
バンドは男性・女性を問わず、新たなヴォーカリストを獲得すべく、オーディションを行うことを発表した。「『アンネッケ・クローン』は求めない」と、必ずしも Anneke と似たタイプを選ぶとは限らない、としている。しかしながら、過去の曲を歌うことを考えると、初期のような男性ヴォーカルに戻る可能性は少ないと見られている。
[編集] メンバー
[編集] 現メンバー
- Rene Rutten [ルネ・ルッテン] (Guitars) - 1989年の結成以来、バンドのリーダーにして、メイン・ソングライター。銀縁の眼鏡をした知的なキャラクターは、メタル界では珍しい。ドラムのハンスは3歳年上の兄。 ※Reneの最後のeにはアクサンテギュが付く
- Hans Rutten [ハンス・ルッテン] (Drums) - 1989年の結成時より、弟のルネと共にバンドに在籍。派手なプレイはしないが、堅実で職人肌のドラム・マン。リズム・キープは正確で、ライヴでもアルバム通りの速度を実現。
- Frank Boeijen [フランク・ボイエン] (Keyboards) - 1990年より参加。バンドがメタル・サウンドをしていた当初は、普通に和音を被せるシンセ奏者タイプだったが、近年はアンビエント寄りに方向性を変えている。サウンド・メイクの鍵を握る人物。
- Marjolein Kooijman [カナ読み不明] (Bass) - 女性ベーシスト。2004年の Hugo 脱退に伴って交替。8th 'Home' より参加。1980年生まれとの事で、他のメンバーより10歳近く若い。
- 3代目のヴォーカル Anneke van Giersbergen が2007年5月に脱退を表明(ツアー後の同年8月に脱退)。2007年12月現在、ヴォーカルのオーディション中であると伝えられている。
[編集] 過去のメンバー
- Bart Smits [バルト・スミッツ] (Death Vocals) - 初代ヴォーカル。咆哮するデス・ヴォイス・スタイルだった。1989年の結成時~1st 'Always' 発表後のツアー(1993年)まで在籍。その後、ポップ化を指向したバンドに対し、あくまでコアなデス・メタルに拘り、方向性の違いから脱退。
- Niels Duffhues [ニールス・ドゥフューズ] (Vocals and Acoustic Guitars) - 1993年~1994年在籍。2nd 'Almost A Dance' 及びツアーのみ在籍。デス・ヴォイスではファンが限られることから、ある程度歌うヴォーカル・スタイルにチェンジ。MEGADETHのデイヴ・ムスティンをやや低音にしたような爬虫類声の持ち主。2ndが不評だったことから、1作のみで脱退。 ※Duffhuesのeにはウムラウト(..)が付く
- Martine van Loon [マルティネ・ヴァン・ローン] (Backing Vocals) - 1993年~1994年在籍。2nd 'Almost A Dance' 及びツアーのみ参加。やや頼りないエンジェルながら、愁いを帯びた美人で、その筋では人気があった。
- Anneke van Giersbergen [アネク・ヴァン・ガースバーゲン] (Vocals) - 1994年~2007年8月まで在籍。バンド初の女性リード・シンガー。1994年に加入して以来、3rd 'Mandylion', 4th 'Nighttime Birds', 5th 'How to measure a planet?', 6th 'if_then_else', 7th 'Souvenirs', 8th 'Home' など、ゴシックの名盤を数多く残す。「ザ・ギャザリングのヴォーカル」と言えば通常は彼女を指す(2007年12月現在)。独特の妖しさを帯びた歌声で、バンドの黄金期を堂々と引っ張った。十分なパワーもありながら、掠れや割れがない美声で評価が高い。濃いメイクのせいで一見怖く見えるが、実は人なつっこい性格で、男性ファンの多いロック界では大人気だった。非常に長い彼女の名前は、現地では「アンネッケ・ファン・ヒエルスベルヒェン」と読むようである(アネク・ヴァン・ガースバーゲンは英語読み)。オランダ語には「グ(g)」に当たる発音がなく、「ヒェ」がその代わりになっている。また「V」は英語の「F」に近い発音だそう。
- Jelmer Wiersma [イェルマー・ヴィアスマ] (Guitars) - 1989年の結成時から在籍し、1998年 4th 発表後のツアーを最後に脱退。1st 'Always', 2nd 'Almost A Dance', 3rd 'Mandylion', 4th 'Nighttime Birds' までの4作に参加した。家族の問題と、エンジニアに転身するための脱退と言われるが、続報は不明。彼の脱退により、ツイン・リードは不可能となった。
- Hugo Prinsen Geerligs [ヒューゴ・プリンセン・ギーリグス] (Bass) - 1989年の結成時から在籍。1st 'Always', 2nd 'Almost A Dance', 3rd 'Mandylion', 4th 'Nighttime Birds', 5th 'How to measure a planet?', 6th 'if_then_else' の6作に参加。2004年、トリップ/アンビエント化で出番が減ったことが、脱退の理由と言われる。
[編集] ディスコグラフィ
[編集] スタジオ・アルバム
- Always... (1992)
- Almost a Dance (1993)
- マンディリオン Mandylion (1995)
- ナイトタイム・バーズ Nighttime Birds (1997)
- ハウ・トゥ・メジャー・ア・プラネット? How To Measure A Planet? (1998)
- if then else (2000)
- Souvenirs (2003)
- Home (2006)
[編集] シングル/EP
- Strange Machines (1995)
- Adrenaline/Leaves (1996)
- The May Song (1997)
- Kevin's Telescope (1997)
- Liberty Bell (1998)
- Rollercoaster (2000)
- Amity EP (2001)
- Black Light District (2002)
- Monsters (2003)
- You Learn About It (2003)
[編集] ライヴ・アルバム
- Superheat - a live album (1999)
- Sleepy Buildings - A Semi Acoustic Evening (2004)
[編集] コンピレイション・アルバム
- Accessories - Rarities And B-Sides (2005)
[編集] オムニバス・アルバム
- Road Kill Vol.1 (1995) - tr.8 "Mirror Waters"
- Identity II (1996-04-23) - tr.5 "In Motion #1" (表紙には "Leaves" とあるが間違い)
- Identity 3...D! (1997-01-14) - tr.16 "Adrenaline"
- Out Of The Dark (Live) (1997-06-06) - tr.3 "Leaves (live)", tr.4 "Eleanor (live)" (「ナイトタイム・バーズ」日本盤にボーナス・トラックとして収録)
- マスターズ・オブ・ダークネス2 Masters Of Darkness 2 (1998-06-24) - tr.13 "Nighttime Birds" (アルバムでは前の曲と繋がっているため、イントロをフェード・イン処理している模様)
- Identity Four (1998-03-31) - tr.2 "The May Song" (album version)
- Call on the Dark 2 (1998-06-23) - tr.12 "When The Sun Hits" (Slowdive cover song)
- Identity five: I Defy (1999-03-09) - tr.10 "Liberty Bell (edit)"
[編集] トリビュート・アルバム
- The Lotus Eaters: Tribute to Dead Can Dance (2004) - Disc 2, tr.4 "In Power We Entrust the Love Advocated"
[編集] ソロ活動
[編集] Anneke van Giersbergen
- Countrified - FARMER BOYS (1995) Tr 9. Never Let Me Down Again をデュエット。オリジナルは Depeche Mode。
- エイリオン~光の宮殿~ Into The Electric Castle - AYREON (Arjen Anthony Lucassen) (1998)