ゴッドフレイ・ハロルド・ハーディ
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ゴッドフレイ・ハロルド・ハーディ(Godfrey Harold Hardy , 1877年2月7日 - 1947年12月1日)はイギリスの数学者。
1877年、英国クランレー生まれ。ケンブリッジ大学卒業後、長い間オックスフォード大学の講師を勤め、その後ケンブリッジの教授となる。リトルウッドとの30年以上の共同研究は、その内容の大きさはもちろん、そのユニークなスタイルは今日でも語り種となっている。自らも、生涯最大の業績はシュリニヴァーサ・ラマヌジャンを発見したことといったように、インドの数学者ラマヌジャンを援助したことでも有名。
初期の頃から解析学全般にわたり広い業績があるが、なかでも解析的整数論に与えた影響は大きい。内容はゼータ関数の零点分布や近似函数等式、加法的整数論での円周法、ディオファントス近似などに著しい業績がある(ハーディ・リトルウッド予想などほとんどリトルウッドとの共著)。
イギリスにおける純粋数学はニュートン以来大陸側に大きく遅れをとっていたが、ハーディやリトルウッドの出現によって挽回、またある部分においては一流のレベルにまで引き上げられた。実際英語で近代的な解析学の教科書を初めて書いたのはハーディ自身であった。著書「ある数学者の生涯と弁明」は非常に有名で、その中の数学に対する彼の価値観はよく引用されるところとなっている。
ちなみに生物学に出てくる、集団遺伝に関するハーディー・ワインベルクの法則(1907年)は、たしかにこのG・H・ハーディが(ドイツのワインベルクとは独立に)発見したものである。