ゲオルグ・レティクス
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ゲオルグ・レティクス(George Joachim Rheticus 、Rhäticus, Rhetikusとも表記、1514年2月16日 - 1574年12月4日)、本名Georg Joachim von Lauchenはオーストリアの数学者、天文学者である。コペルニクスの地動説の概要(Narratio prima)を1540年に公刊し、コペルニクスに『天球の回転について』の出版を強く勧めた。
オーストリアのフェルトキルヒに生まれた。1528年から1531年までチューリッヒで数学を学び、その後ウィッテンベルクで学んだ。1537年にウィッテンベルク大学の教授となり、1539年から2年間フラウエンブルクでコペルニクスと暮らした。1539年にグダニスクを訪れ、市長の補助を得て、コペルニクスの地動説の『概要』(Narratio prima)を1540年に公刊した。1542年にニュルンベルクに行き、コペルニクスの『天球の回転について』の出版にかかわり、『天球の回転について』はコペルニクスの死の直前の1543年に刊行された。
エルムランド(Warmia)の司祭や司教をパトロンに持ち、ポーランド王ジグムント2世にも仕え、クラクフで長く教師を務めた。1574年にハンガリーのコシツェで没した。