カーバイン
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カーバイン | |
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現役期間: | {{{時}}} |
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品種: | サラブレッド |
性別: | 牡 |
毛色: | 鹿毛 |
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生誕: | 1885年9月18日 |
死没: | 1914年6月10日 |
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父: | マスケット |
母: | マーシー |
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生国: | ニュージーランド |
生産: | シルヴィアパーク牧場 |
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馬主: | D.オブライエン→D.ウォラス |
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調教師: | D.オブライエン(新) →W.ヒッケンボトム(豪) |
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競走成績 | |
生涯成績: | 43戦33勝 |
獲得賞金: | 29,476ポンド |
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カーバイン(カービン、Carbine)は、ニュージーランドで生まれ、ニュージーランドとオーストラリアで走った競走馬。ファーラップと並ぶオセアニア競馬史に残る名馬である。種牡馬としてもオーストラリア、イギリスで成功した。馬名の由来は銃の名を持つ父マスケット(マスケット銃)にちなみ、カービン銃よりとられた。半弟にヴィクトリアダービーに優勝したカーネージがいる。
父マスケットの元の馬主グラスゴー卿は絶対に馬を売らず、気に入らない馬は射殺していたというが、マスケットも射殺されるところを彼の死によって免れたといわれている。命を救われたマスケットはその後、数々の活躍馬を輩出し、1885年にはイギリスから輸入されたマーシーという名の牝馬との間にカーバインを儲けた。カーバインは非の打ち所のない馬体の持ち主といわれ、サラブレッドの理想像とされた。現在カーバインの骨格をメルボルンの博物館で見ることができる。
[編集] 戦績
1887年の末にデビューしたカーバインは、ニュージーランド国内では無敗を誇り5戦の勝ち鞍を残した後、オーストラリアに遠征した。その初戦となるヴィクトリアダービーではオーストラリアで1走もしていないにもかかわらず、なぜかの本命に押されていたが、さすがにエンサインに頭差交わされ初めての敗戦を経験する。この年はフライングステークス、フォウルステークスに勝ち休養に入った。
この間に3000ギニーでD.ウォラスに購入され、厩舎もW.ヒッケンボトムに変わった。1889年の3-4月の2ヶ月間には計10戦を使われシドニーカップ等7勝をあげた。1ヶ月に5回も使われれば現代では異常だが、この時代のオセアニアでは普通だったようで、この他にも1ヶ月に5回や4回使われている時期がある。AJCプレート、オールエイジドステークスに勝ったが、秋に出走したコーフィールドステークス、メルボルンステークス、メルボルンカップでは、それぞれ2着、3着、2着に敗退している。
1890-91年にかけてはカーバインの全盛期で、20戦走って18勝、重い斤量を背負いながら一時は15連勝を記録した。特にクレイヴンプレートでは斤量が23ポンド(10.4kg)も軽いメガフォンとの叩き合いを制した。3着馬はさらに12馬身も離れており、この年のメルボルンカップと並んでカーバインのベストレースとして知られている。また、もうひとつのベストレースである1890年のメルボルンカップでは、10万人の大観衆の中、歴代の優勝馬としては同レース史上最重量である145ポンド(65.8kg)の斤量を背負い2馬身差、タイムもレースレコードで優勝した。この時の観衆の興奮はすさまじいものだったと記録されている。その後も連勝を続けたが、翌1891年の4月に行われたAJCプレートの後、脚部不安を発症し引退した。
引退後は種牡馬となり、オーストラリアで数々の名馬を輩出すると、1895年には当時セントサイモンを所有していたポートランド公爵に1万3000ギニーで購入されイギリスに渡った。セントサイモン産駒のラフレッシュやメモワール(両馬の母クァイヴァーがマスケットとほとんど同じ血統)を見て、逆にセントサイモン牝馬にトクソフィライトの孫であるカーバインを配合する目的で輸入したと言われている。この目的にはそえなかったものの、代表産駒であるスペアミント(エプソムダービー、パリ大賞典)がキャトニップ(ネアルコの母の母)やプラッキーリエージュ(アドミラルドレイク、サーギャラハッド、ブルドッグ、ボワルセル4兄弟の母)を輩出したことで、現代へも少なからぬ影響を残した。1914年老衰により死亡、29歳であった。
[編集] 主な産駒
- スペアミント(エプソムダービー、パリ大賞典)
- ウォレス(ヴィクトリアダービー、ヴィクトリアセントレジャー、シドニーカップ、豪リーディングサイアー5回)
- グレートレックス(南アフリカリーディングサイアー10回)
- アンバーライト(ヴィクトリアダービー、AJCダービー、AJCセントレジャー)
[編集] 血統表
カーバインの血統 (タッチストン系/Brown Bess3×4=18.75% Touchstone5.5×4.5=15.62% Camel4×5.5=12.50%) | |||
父
Musket 1867 鹿毛 |
Toxophilite 1855 鹿毛 |
Longbow | Thuriel |
Miss Bowe | |||
Legerdemain | Pantaloon | ||
Decoy | |||
West Australian Mare 1857 鹿毛 |
West Australian | Melbourne | |
Mowerina | |||
Brown Bess | Camel | ||
Brutandorf Mare | |||
母
Mersey 1874 栗毛 |
Knowsley 1859 鹿毛 |
Stockwell | The Baron |
Pocahontas | |||
Oriando Mare | Orlando | ||
Brown Bess | |||
Clemence 1865 栗毛 |
Newminster | Touchstone | |
Beeswing | |||
Eulogy | Euclid | ||
Martha Lynn F-No.2-h |