ウード (西フランク王)
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ウード1世(フランス語:Eudes Ier, 860年頃 - 898年)は、西フランク王国の国王(在位:888年 - 898年)。アンジュー伯ロベール(ロベール・ル・フォール)の息子。しばしばフランス公、またパリ伯の称号で呼ばれる。
ウードはカロリング朝王家の直系ではなかった。しかし来襲したノルマン人(ヴァイキング)に対する抵抗戦での指揮と勇気を認められ、皇帝カール3世(肥満王、西フランク王としてはシャルル2世)が887年に廃位された後、西フランク王に選出された。そして翌888年2月29日、ウードはコンピエーニュ(オワーズ県)で戴冠した。彼はノルマン人との戦いを継続し、モンフォーコンなどで勝利を収めた。しかしその後、カール3世の従甥シャルル(後のシャルル3世)を支持する有力貴族たちとの紛争に巻き込まれた。
東フランク王アルヌルフははじめウードを承認していたが、894年に至ってシャルル3世の支持を宣言した。3年間続いた紛争の後、ウードはシャルル3世にセーヌ北部を引き渡した。
ウードは898年、ラ・フェールで死去した。
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