イングリッド・クリスチャンセン
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イングリッド・クリスチャンセン (Ingrid Kristiansen、1956年3月21日-)は、ノルウェー・トロンハイム出身の陸上競技(長距離)選手である。
彼女は、トラック種目で5回の世界記録と、マラソンでも世界最高記録を樹立し、同じノルウェーのグレテ・ワイツらと並んで1980年代を代表する名ランナーであった。
元はクロスカントリースキーの選手として有名であり、1974年のヨーロッパジュニア選手権のチャンピオンである。 1980年代に入って本格的に陸上競技の長距離種目に取り組み始める。結婚・出産を経験していたが第一線で競技を続け、「ママさんランナー」とよく紹介された。1982年の第一回大阪国際女子マラソンにも出場している。
1984年のロンドンマラソンに2:24:26の好記録で優勝し、同年夏のロサンゼルスオリンピックのメダル候補として注目を浴びる。そのオリンピック本番では、優勝したジョーン・ベノイトが早くから抜け出した後、同国のワイツ、ポルトガルのロザ・モタと2位集団を形成してメダル争いを演じたが、モタとの3位争いに敗れて惜しくも4位入賞に留まった。彼女の落胆は大きかったが、宿舎に戻った後幼かったわが子の姿を見たときに「再び走る意欲が生まれた」と述懐している。
これを契機にクリスチャンセンはさらに力を付け、翌年のロンドンマラソンでは2時間21分06秒の世界最高記録を樹立する。この記録はその後1998年、ロッテルダムマラソンでテグラ・ロルーペに更新されるまで、13年間破られることはなかった。1986年にはトラックの5,000m、10,000mでも世界記録を樹立し、長距離3種目の記録を独占した。
1987年にローマで開催された世界陸上競技選手権では10,000mで優勝。しかし、優勝候補と目された1988年のソウルオリンピックの10,000mでは、予選はトップ記録で通過したが、決勝レースでは直前に痛めた足が悪化して結果途中棄権に終わり、オリンピックではついにメダルを獲得することはできなかった。
日本の大会では、1992年に大阪国際女子マラソンに10年ぶりに出場。序盤から独走するもその後ペースが落ち、中間点過ぎで2位以下に下がるとズルズル後退していき、結局途中棄権に終わっている。その後彼女はレースに参加していないので、結果的にこの大阪が引退レースとなった。
[編集] 自己ベスト
種目 | タイム | 日時 |
800 m | 2.09,7 | 1981年7月5日 |
1500 m | 4.05,97 | 1986年8月10日 |
3000 m | 8.34,10 | 1986年8月13日 |
5000 m | 14.37,33 | 1986年8月5日 |
10000 m | 30.13,74 | 1986年7月5日 |
ハーフマラソン | 1.08.31 | 1989年3月19日 |
マラソン | 2.21.06 | 1985年4月21日 |