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イスラーム教徒による宗教的迫害 - Wikipedia

イスラーム教徒による宗教的迫害

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


イスラム教

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Category:イスラム教

イスラーム教徒による宗教的迫害の項目では、イスラーム教徒によってなされた他宗教の信者、無神論者、無宗教者などへの迫害について記述する。イスラームの支配領域において恒常的に行われた異教徒への差別についてはズィンミーの項目を、イスラームの名の下に行われた侵略戦争についてはジハードの項目も参照の事。

目次

[編集] 歴史的迫害

[編集] イスラーム初期の迫害

イスラームの開祖であるムハンマド・イブン=アブドゥッラーフは元来は寛容で慈悲深い人間であったが、世俗の権力を握りアラビア半島の征服を進めるようになった後は幾度か異教徒への宗教的迫害を行った。例としてクライザ族虐殺事件などのユダヤ人迫害、メッカの聖像破壊を含む多神教徒に対する迫害[1]が挙げられる。またムハンマドは自身の死後も引き続き征服を行い、アラビア半島から非ムスリムを駆逐するよう遺言していた。ただしこれらについては以前にユダヤ教徒やメッカの多神教徒がムスリムを厳しく迫害しており、ムハンマド自身も命を失いかけたことがあったという事実がある。

初期カリフ時代からウマイヤ朝期にかけてムハンマドの遺言に従いイスラームが東地中海世界とペルシアを征服するにいたりキリスト教徒、ユダヤ教徒、ゾロアスター教徒は厳しく権利を制限された劣等市民であるズィンミーとなり、イスラームの絶対的支配の下に置かれた。[2]

[編集] ペルシアにおけるゾロアスター教徒迫害

イスラム教軍のペルシア征服によりゾロアスター教徒は国家の庇護を失い、続くズィンミー化により厳しい社会的圧迫に晒された。ムスリムへの布教は禁止され、ジズヤなどの負担が重くのしかかった。結果として多くのゾロアスター教徒は長いイスラーム統治の間に迫害を逃れるため『自発的に』イスラームに改宗することを余儀なくされ、少数派へと転落した。またゾロアスター教徒の中には信教の自由を求めてインドに移住するものも多かった。19世紀にペルシア近代化政策が始まり、インドの同胞の支援などもあってゾロアスター教徒は一旦解放された[3] が、現在では後述するように再びイスラームの名の下に抑圧されている。

[編集] ファーティマ朝のハーキムによるキリスト教徒・ユダヤ教徒迫害

ファーティマ朝の君主ハーキムは熱烈なシーア派ムスリムであり、異教徒に対して厳しい迫害を行った。ユダヤ教徒・キリスト教徒の男性は黒いターバンを必ず着用して外見で区別できるように命じ、それとともにキリスト教徒は木の十字架、ユダヤ教徒は鈴を常に身に付けるよう義務付けた。キリスト教の教会修道院、ユダヤ教のシナゴーグはすべて廃止を命ぜられ、財産を没収された。これには一切の例外はなく、1009年にはムスリム(イスラム教徒)によるエルサレム征服以来、キリスト教徒の宗教的自治によって保全されてきた聖墳墓教会すらも破壊された。

[編集] 十字軍期の異教徒迫害

十字軍がイスラーム世界に於ける自己防衛の意識を高めるにつれ、イスラーム以外の宗教に対する排他的姿勢もまた高まりを見せた。とりわけマグレブアンダルスに勢力を張ったムワッヒド朝はキリスト教徒、ユダヤ教徒に対し剣かコーランかという選択(狭義の強制改宗)を突きつけ[4][5]、イスラーム戦士による両教徒への虐殺、レイプなども多発した。結果としてマグレブでのキリスト教徒の共同体は消滅した。またアンダルスでもモサラベやユダヤ人がキリスト教徒の支配する北部イベリアへの脱出やイスラームへの偽装棄教などを強いられた。コルドバのユダヤ人哲学者マイモニデスもその一人で、ムワッヒド朝の虐殺を逃れるためにイスラームへの偽装改宗を行い、後にエジプトに亡命した際にムスリムの友人の助けを借りてムスリム法廷でこの改宗を無効とすることに成功した。これは通常極めて難しいことである。[6]マイモニデスは後にイエメンの同胞への手紙の中で、ムワッヒド朝の迫害の凄まじさを評して『過去どのような国であっても、イスラエルの民にここまでの仕打ちはしなかった』と述べた。[7]またアイユーブ朝統治下のエジプトでもコプト教徒への迫害が強まった。

[編集] トルコ系遊牧民の北インド征服

12世紀以降トルコ系ムスリムが北インドの征服を開始した結果、多くの仏教徒とヒンドゥー教徒が虐殺され、またレイプされた。剣かコーランかという狭義の強制改宗も広く行われ、多くの寺院がイスラーム教徒に依り破壊された。とりわけ仏教は大打撃を蒙り、インド国内では完全な少数派宗教へと転落した。[8]しかしムガル帝国期までには概ね平和的な関係がムスリムと非ムスリムの間に結ばれ、三代皇帝アクバル以降ジズヤは廃止され一世紀程度はほぼ完全な信教の自由と平等が確立した。

[編集] オスマン帝国のキリスト教徒・ユダヤ教徒迫害

オスマン帝国は歴史的・地理的経緯から当初はキリスト教徒・ユダヤ教徒に対しても極めて寛大な政策を取っていた。スペインの迫害を逃れてきた多くのユダヤ人の存在からもこのことが証明されている。しかし帝国のアイデンティティーの源泉がイスラームに収束していくに当たり、キリスト教徒とユダヤ教徒は次第に迫害を受けていった。とりわけユダヤ教徒は強く迫害された。当時帝国内の非ムスリムは法的には全て平等にズィンミー身分とされ、ムスリムの下位に位置づけられていたが実際には数の上でムスリムと拮抗するキリスト教徒よりも圧倒的少数派のユダヤ教徒がより強い社会的圧迫を受けることになった。[9] 但し当時のヨーロッパにおけるユダヤ人の待遇に比べれば、猶良好な地位を保ったのも事実である。又帝国末期のアルメニア人大虐殺についても、アルメニア人がキリスト教徒であったことを迫害の原因の一つとする意見もある。

[編集] アウラングゼーブのヒンドゥー教徒・シーク教徒・仏教徒迫害

ムガル帝国皇帝のアウラングゼーブは熱烈なスンナ派ムスリムで、イスラームへの信仰と異教徒への敵意から他宗教に対する迫害を開始した。ジズヤの復活を皮切りに寺院の破壊、寺院の新築・修繕の禁止、宗教教育の禁圧など迫害はエスカレートしていき、遂には帝国内の非ムスリムに対し剣かコーランかという狭義の強制改宗すら行われるようになった。結果として多くの非ムスリムがイスラームへの改宗を強制され、また膨大な数の非ムスリムが虐殺された。アウラングゼーブの政策は非ムスリムの反乱を呼び起こし、ムガル帝国の衰退の主因となった。[10]

[編集] その他

目だった迫害の無い地域でも、殆どの場合非ムスリムはズィンミーとして恒常的に税制上の差別(ジズヤの支払い)、政治的差別、社会的圧迫などに晒された。長い年月の間に多くのズィンミーがイスラームに改宗したことは、このような圧迫や差別から逃れるためだったという側面があるとも言われている。[11] [12]

[編集] 現代の迫害

[編集] イラン

現在のイランではシャリーア(古典イスラーム法)を直接適用するイスラーム共和制の名の下にイスラーム教徒と非イスラーム教徒の間の差別が合法化されている。イスラームからの離脱死刑になる可能性もある。[13]またイランの保守派アーヤトッラーであるアフマド・ジャンナティーが非ムスリムを『人間とは呼べず、地上を這い回り堕落させることに従事する獣』と呼んだことなどに見られるように、宗教的ヘイトスピーチも通常咎められることは無い。但しゾロアスター教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒は厳しい制約つきながらも一定程度の信教の自由を保障されており、国会に少数ながら議席を確保されているなど『保護』されており、かつてのズィンミーに相当するとされる。

その下にイスラームの異端カーフィル[14]、そして『欧米とイスラエルの手先』[15]として支配層に認識されているバハーイー教徒が存在しており、彼等の信仰は法律で禁止されているため多くがムスリムを装って生活しているとされる。バハーイー教の信仰が発覚した場合、逮捕・投獄されることや場合によっては死刑に処されることもあり、国際連合や欧州連合などから問題視されている。[16][17]。また無神論者・無宗教者も同様の扱いを受けている。

国際連合欧州連合アムネスティーインターナショナルなどは盛んにイランにおける宗教的迫害に対し抗議を行っているが、イスラーム共和国は現在までのところそれを黙殺しつづけている。[18][19][20][21]

イランにおける宗教的迫害およびバハーイー教徒に対する宗教的迫害も参照。

[編集] サウディアラビア

サウディではイスラーム教ワッハーブ派が国教であり、全ての国民に信仰が強制されているため信教の自由は存在しない。宗教警察にあたる勧善懲悪省により背教は死刑に処せられる。またワッハーブ派はシーアを異端のイスラム教徒ではなく非イスラム教徒(異教徒)であると宣言しているため、サウジアラビア東部のシーア派のイスラム教徒の宗教的自由も制限されている。また同性愛は死刑とし、窃盗は手首を切断、女性が車を運転することも禁止されているなどイスラム教の厳格な解釈に基づく人権弾圧も問題とされている。

[編集] アフガニスタン

アフガニスタンタリバン政権は非ムスリム国民に対しイスラーム教徒と区別できるよう特別な衣服の着用を義務付けた[22]。これはナチスがユダヤ人に対し行ったことと類似しているが、かつて一部の地域でズィンミーに対し行われたものを踏襲しているものである。また教条的ムスリムの常として、イスラームからの離脱は死刑とされた[23]

またタリバーンはアフガニスタンのバーミヤンにあった仏像を『邪教の偶像』として破壊した。これに対しても国際社会から批判が上がった。[24]

タリバーンの崩壊後も教条的ムスリムの影響力はきわめて強く、キリスト教に改宗した男性が死刑になりかかり亡命した事件も起こった。[25]

[編集] エジプト

エジプトではコプト教徒がイスラーム教徒の支配する社会の中で、社会的圧迫に晒されている。現在では信教の自由が建前としては保障されているが、実際にはイスラームからコプトへの改宗が極めて困難であること、教会の新築や修理の許可が出にくいことなどが知られている。またイスラーム法の厳格な適用を求めるイスラーム原理主義者の勢力が強まっており、コプト教徒のズィンミー化を強く主張するムスリム同胞団[26]や更に進んでコプト教徒の追放や虐殺も辞さないとするジハード団などの勢力の脅威にも晒されている。

[編集] スーダン

スーダンに於けるイスラーム教徒によるキリスト教徒への迫害については、1990年代の初めからスーダン人権協会も含めた様々な人権団体によって記録されている。例を挙げると、教会の閉鎖、聖職者の追放、強制改宗、虐殺、レイプなどである。[27]これには内戦という非宗教的要因も大きく、キリスト教徒もムスリムに対して少なからず同様の行動を取っているのだが、スーダンではイスラーム教徒の勢力の方が強いため、キリスト教徒の方が迫害の被害に遭いやすいのである。1994年にはパストゥールでキリスト教徒への虐殺が発生した。又1994年2月にはローマカトリック教会のマクラム・マックス・ガッシスがジュネーブの国連人権委員会に教会の破壊や強制改宗、虐殺、レイプ、奴隷化[28]などイスラーム教徒によるクリスチャン迫害について報告した。

[編集] イラク

イラクでは米英軍の侵攻に依り世俗的独裁政権であるサダム政権が崩壊し、宗教勢力が伸張したため国内の少数派であるアッシリア東方教会などのキリスト教徒がテロや脅迫などの迫害にあっている。地域によっては地元のイスラム共同体からジズヤの支払いを要求されている場合もある。[29][30]またヤジディ教徒などもテロの被害にあっている。[31]

[編集] パキスタン

詳細はパキスタンにおける宗教的迫害を参照

パキスタンでは建国の経緯から保守的イスラームの力が強く、国内のアニミストやヒンドゥー教徒、キリスト教徒などが社会的抑圧に晒されている。コーランの批判を禁ずる法律が非ムスリムを含めた全国民に適用されており、非ムスリムへの権利侵害の口実になっているという批判もある。また対テロ戦争の影響でパキスタン国内のキリスト教教会が襲撃される事件も発生した。[32]

[編集] その他の諸国

マレーシアでも、イスラームからの離脱は死刑にこそならないが、国外追放や再教育施設への収監などが行われており、問題視されている。[33][34][35]

イスラエルの成立に伴い、イスラーム諸国ではユダヤ教徒への差別や敵意が増幅している。

[編集] 迫害の原因

[編集] 宗教的正当化

他の信仰への迫害を正当化するために用いられるコーランの節、イスラーム法規定、ハディースなどは様々である。

元来イスラーム政権下に於いてイスラーム以外の信仰を信ずるものは、ユダヤ教徒・キリスト教徒など同系の宗教を信じる『啓典の民』とそれ以外に分けられた。啓典の民にはイスラームへの屈服とジズヤの支払いを条件にズィンミーとして一定程度の権利を認め[36]、無神論者や多神教信者などそれ以外の者に対しては『剣かコーランか』を強いる[37]のがごく初期のイスラーム政権のあり方であったが、実際にはすぐにそれ以外の信仰を持つ者に対してもズィンミーとして信仰を許容することになった。ズィンミーは生命権・財産権や信教の自由を保障されたものの、それらの権利には厳しい制限が付いていた。このことから古典イスラーム法を直接現代に適用した場合、少なくともイスラーム以外の信仰を平等に遇さず、差別を行うことは正当化しうるとされる。[38][39]

また一部の原理主義者は、より厳しい異教徒観を持っており、上に記したような極初期の基準を元に無神論者や多神教徒はズィンミーとなる権利すらなく排斥するのみとする意見もある。更にユダヤ・十字軍に対する聖戦のための国際イスラム戦線ジハード団のようにキリスト教徒・ユダヤ教徒に対しても排斥を訴えるグループもあり、この場合ジハードの教義を持ち出し、イスラエルとアメリカのイスラーム世界への圧迫はキリスト教徒とユダヤ教徒のイスラーム世界への侵略に他ならないとして、その主張を正当化している。

シーク教徒やバハーイー教徒を弾圧する際には『ムハンマドは最後の預言者である』という教理[40]を教条的に解釈し、両教はムハンマド以降に発生したために偽預言者の教えであるとして正当化を計るとされる。[41]

棄教者に対する迫害は、ムハンマドの言行録であるハディースの一つに『イスラームからの棄教は死刑にせよ』と書かれていることが正当化に用いられ、シャリーアに於ける規定もこの伝承を踏まえたものである。但しハディースよりも重要である聖典コーランには棄教者は死刑にすべしと書かれていないという意見[42]や、棄教者に対する処刑はコーランに書かれている『宗教に無理強いは禁物』という文言に違反しているのではないかという意見もある。

概してこれらはイスラーム以外の信仰を軽蔑する思想に基づいているとされる。このような考えのもっとも極端なものとしては、『イスラーム以外の宗教は無価値でその信者はすべて地獄に落ちる』というものもある。[43][44]

この節は執筆の途中です この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。

[編集] 世俗的原因

イスラエルのパレスチナに対する圧迫やアメリカのイラク侵攻アフガン侵攻などがイスラーム世界での反欧米主義・反ユダヤ主義を強め、宗教的不寛容に繋がっている側面もあるとされる。

この節は執筆の途中です この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。

[編集] 評価

イスラームに於ける宗教的迫害については、親イスラーム的な学者と反イスラーム主義的な学者の間で評価が分かれている。反イスラーム主義的学者はこれらの事実を元に『イスラームは本質的に他宗教に対し攻撃的な宗教である』と定義する傾向が強い。対して親イスラーム的学者はこれらの事実を見逃すか、過小評価するなどしてこれらの批判をかわそうとする傾向がある[45][46]

イスラームによる宗教的迫害に関して一つの大きな論点となっているのは、イスラームに於ける強制改宗の有無や程度である。親イスラーム的学者は、少なくとも狭義の強制改宗(剣かコーランか)は全く無かったか極めて稀な逸脱であったとし、更にジズヤの支払いやズィンミー身分の強制などの抑圧による広義の強制改宗についても、その存在は認めるものの差別の度合いを少なく見積もる傾向がある。一方反イスラーム主義者の側は、現在ではズィンミーに対する差別・抑圧を強調し、狭義の強制改宗とあわせてイスラームの攻撃性を強調する傾向がある。[47][48]

もう一つの論点は、歴史的にイスラーム教圏で取られた宗教的弱者への『寛容な』政策についてである。親イスラーム的学者は、これらの『寛容な』政策を高く評価し、イスラームの平和的性質と主張する傾向にある。[49][50]対して反イスラーム的学者の側はこれらの『寛容な』政策は所詮は不平等な共存にすぎないとして切り捨てる傾向にある。[51]

事実を客観的に見すえた学者の場合、イスラームに於いて宗教的迫害は確かに存在し、悲惨な出来事も多かったことを認めている。

日本では親イスラーム的立場のイスラム学者が多い為、イスラームによる宗教的迫害は無視されるか、少なく見積もられる傾向にあるという批判もある。[52]

[編集] 脚注と参照

  1. ^ コーラン第8章39節『だから、迫害と奸計がなくなるまで、また(かれらの)教えがすべてアッラーを示すまで、かれらと戦え。だがかれらがもし(敵対を)止めるならば、本当にアッラーは、かれらの行うことを御存知であられる。』および下記の第2章191節と第9章5節
  2. ^ 飯塚正人 (1997-07-11). "古典イスラーム法学におけるジハード(聖戦)論" 1999年度上智大学外国語学部「中東政治論」シラバス. 東京外国語大学. 2007-12-07閲覧.
  3. ^ "ゾロアスター教" 役立つかも知れないイラン情報. ナイマトラベル: n.d.. 2007-12-07閲覧.
  4. ^ Bernard Lewis (1984), p. 52; Stillman (1979), p.77
  5. ^ Bat Ye'or (2002), p. 88
  6. ^ Bernard Lewis (1984), p. 100
  7. ^ 『イエメンのユダヤ人への書簡』 マイモニデス著 スティルマン翻訳 (1979), pp. 241–242
  8. ^ 保坂俊司 (2001). “イスラム教とヒンドゥー教との対話--インドにおけるイスラム寛容主義思想の可能性”. 比較文明 17: 67-78. ISSN 09122087.
  9. ^ Bernard Lewis (1999), pp. 136–137; Gerber (1986), p. 86 ここではズィンミーの解放に対してキリスト教徒の中に『政府は我々をユダヤ人と同等にしてしまった、我々はイスラームの優越に満足していたのに。』と不満すら感じた者がいることが述べられている。
  10. ^ "Aurangzeb" The Mughals - a family album. The South Asian.com: December 2000. 2007-12-07閲覧.
  11. ^ 中田考はイスラームにおける共存を妨げるもので、ズィンミーの改宗が純粋な宗教的感化のみならず、このような差別待遇からの脱却を願ってのものであった側面も指摘している
  12. ^ 但しズィンミーの改宗は平等や友愛を訴えるイスラームの理念に共感したものだという面を指摘する意見も強く、とりわけ親イスラーム的学者はこの点を強調する傾向にある
  13. ^ 週刊クリスチャン新聞 (2006-10-15). "イラン新政権下でクリスチャンへの迫害強まる" いのちのことば社. 2007-12-07閲覧.
  14. ^ Affolter, Friedrich W (2005). “The Specter of Ideological Genocide: The Bahá'ís of Iran”. War Crimes, Genocide and Crimes Against Humanity 1 (1): 59-89.
  15. ^ A Faith Denied: The Persecution of the Baha'is of Iran(PDF文書) Iran Human Rights Documentation Center. Retrieved on 2007-03-03.
  16. ^ Bahá'í World News Service. “54 Baha'is arrested in Iran”, news.bahai.org, 2006-05-24. 2007-12-06閲覧.
  17. ^ Amnesty International (1996-10). "Dhabihullah Mahrami: Prisoner of Conscience" AI INDEX: MDE 13/34/96. 2007-12-07閲覧.
  18. ^ 『信教および信条の自由に関する特別報告書-イランにおけるバハーイー教徒の取り扱いに関して』
  19. ^ イランにおける宗教的少数派への差別(PDF文書)
  20. ^ Amnesty International USA (1993-11-23). "Iran: Serious Violations Continue amid Political and Religious Repression" AI Index: MDE 13/11/93. 2006-10-20閲覧.
  21. ^ (2004-09-13) EU Annual Report on Human Rights. Belgium: European Communities 2006-10-20閲覧. 
  22. ^ アフガニスタン女性革命協会. "アフガニスタン女性がタリバンに強いられている制約の例" アフガン女性と連帯する会. 2008-06-01閲覧. 主にムスリム女性への制限についてのページだが、一番下に異教徒への迫害についても記述されている
  23. ^Taleban warn of death for converts”, BBC, 2001-01-08. 2007-12-08閲覧.(日本語抄訳= BBC, アフガン女性と連帯する会訳 (2001-01-08). "タリバンは、改宗者に対して死刑を警告" アフガン女性と連帯する会. 2007-12-08閲覧.
  24. ^ 但し日本の著名なムスリムであり、中東イスラーム学者である中田考はタリバーンの主張どおり仏像は『偶像』であり、『ゴミと同じ無価値なもの』であるとした。そしてイスラーム国家では異教徒の信仰対象が保護されるのは彼らの私的領域にとどまるが、当該の仏像は山という公共の空間に位置しているため破壊しても何ら問題はなく、批判者は『偶像崇拝者』であり、イスラームに対して不寛容であると主張した
  25. ^Afghan on trial for Christianity”, BBC, 2006-03-20. 2007-12-08閲覧.
  26. ^ ルーテル・アワー・プレス・サービス (n.d.). "ムスリム兄弟団『ジズヤ』を要求" 国際ルーテル信徒連盟日本支部. 2007-12-08閲覧.
  27. ^ スーダンに於ける大量虐殺と人道に対する罪
  28. ^ スーダンの失われた子供たち
  29. ^ 『ムスリムがクリスチャンにジズヤの支払いを強要』 Assyrian International News Agency
  30. ^ 『死か改宗かいずれか選べ-アッシリア人21家族がバグダードの教会に保護を求める』 Assyrian International News Agency
  31. ^ "イラク北部の少数宗教ヤジディ教徒の殺戮" 緊急報告シリーズ. 中東報道研究機関: 2007-08-27. 2007-12-07閲覧.
  32. ^ ENI/CJC. “「我々の不安は現実となった」=教会大虐殺でパキスタンの司教語る=”, 世界キリスト教情報. 2007-12-08閲覧.
  33. ^ 今週のマレーシア
  34. ^ 『イスラムからの改宗認めず』 ニュース01
  35. ^ マレーシア:イスラム教からの改宗を認めない連邦裁の判決に波紋広がる
  36. ^ コーランの中でのジズヤへの言及としては第9章29節の『アッラーも、終末の日をも信じない者たちと戦え。またアッラーと使徒から、禁じられたことを守らず、啓典を受けていながら真理の教えを認めない者たちには、かれらが進んで税〔ジズヤ〕を納め、屈服するまで戦え。』という文言などがある
  37. ^ これはコーランの第九章第五節にある『だが、(四ヶ月の)神聖月があけたなら、多神教徒は見つけ次第、殺してしまうが良い。ひっ捉え、追い込み、いたるところに伏兵を置いて待ち伏せよ。しかし、もし彼等が改悛し、礼拝の務めを果たし、喜捨も喜んで出すようなら、その時は遁がしてやるがよい。』という文言や、第2章191節の『かれらに会えば、何処でもこれを殺しなさい。あなたがたを追放したところから、かれらを追放しなさい。本当に迫害は殺害より、もっと悪い。だが聖なるマスジドの近くでは、かれらが戦わない限り戦ってはならない。もし戦うならばこれを殺しなさい。これは不信心者への応報である。』という文言などが根拠とされている、但しここで直接言及されているのはメッカの多神教徒である
  38. ^ イスラームにおける生き方-信仰の自由 ここではイスラーム以外の信仰はイスラームの絶対的優位に服従する限りに於いて許容すると主張されている
  39. ^ イスラーム国家、その本質と特色 ここではイスラーム国家における差別を完全に正当化・賛美しており、非ムスリムは最低限の人権の保障のみで満足するべきであると主張されている
  40. ^ イスラーム研究(2)第2章『使徒を知る』
  41. ^ 加えて両教、とりわけバハーイー教はイスラームから派生した宗教であるため、背教者として迫害されることもある
  42. ^ かつて私たちはタリバンのようだった
  43. ^ イスラームを悪く言う人達 ここでは『ムスリム以外のすべての人間は失望と自分たちの宗教あるいは宗派に満足できない状態の中であえいでいます。これらの宗教や宗派はアッラーが礎としたフィトラに反しているからです。イスラームは人類がその教えに満足し幸福に暮らせるためのただ唯一の教えであるだけではなくアッラーが定められたディーヌ・ル・ハック(真理の教え)でもあるからです。』とイスラーム以外の宗教に対する強烈な侮蔑意識をあらわにしている
  44. ^ 真理の教え『イスラーム』を知る ここでは『最初のアーヤではアッラーのみ許にあるディーン(教え)はイスラームしかないということが伝えられ、もうひとつのアーヤではアッラーはイスラーム以外誰からもディーン(教え)を受け入れられないということが伝えられています。死後幸福を得るものはムスリムだけなのです。イスラーム以外の教えで死んだものはアーヒラ(来世)において失敗者で、ナール(業火)で罰せられるのです。』とイスラーム以外のすべての宗教は地獄に落ちると主張している。
  45. ^ レジュメ『共存のイスラーム』
  46. ^ イスラム世界におけるユダヤ人の恐怖(PDF文書) 井筒からの引用を参照
  47. ^ イスラムの教義は暴力を容認するのか(1)(PDF文書) 池内の著書からの引用を参照
  48. ^ バート・ヨールはズィンミテュードという概念を用いてズィンミーへの迫害を強調している
  49. ^ イスラムの教義は暴力を容認するのか(2)(PDF文書)
  50. ^ 鈴木薫著 『オスマン帝国-イスラム世界の「柔らかい専制」』
  51. ^ メンミに於けるアラブ=ユダヤ共生言説批判(PDF文書)
  52. ^ 『アラブ政治の今を読む』 池内恵著

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献


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