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この項目ではJR西日本の特急「
くろしお」「
オーシャンアロー」について記述しています。三陸鉄道にかつて存在した車両「
くろしお号」については
三陸鉄道36-300形気動車を、戦前、国鉄と当時の
阪和電気鉄道若しくは
南海鉄道を直通した、特別料金不要の「快速列車」については
黒潮号をご覧ください。
くろしおとは、西日本旅客鉄道(JR西日本)が、京都駅・新大阪駅・天王寺駅~和歌山駅・紀伊田辺駅・白浜駅・新宮駅間をJR京都線(東海道本線)・大阪環状線・阪和線・きのくに線(紀勢線)経由で運行するエル特急。
元々は白浜の温泉など沿線観光地への観光特急であったが、近年は通勤特急としての色合いも濃くなっている。
なお本項ではこの列車から派生した、同区間を運行する特別急行列車であるスーパーくろしお・オーシャンアローや過去に運行されていたきのくになどについても記す。
[編集] 運行概要
[編集] 使用車両
- オーシャンアロー
- スーパーくろしお・くろしお
- 381系
- 「スーパーくろしお」は、基本的に6両で運転されるが、多客期等は9両で運転される。しかし、増結分の3両(7~9号車)は全て指定席である上、6号車と7号車の通り抜けができない。よって、1~6号車に乗車予定の乗客が間違ってここに乗ってしまうと、次に止まる駅まで本来自分が座る予定の席に行けない。尚、7~9号車は途中の白浜駅で増解結を行う。「くろしお」、「オーシャンアロー」が9両で運用された場合は、9両とも終点の新宮駅発着となる。
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381系「スーパーくろしお」
マークのデザインがくろしおとは異なっている
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[編集] 停車駅
<京都駅> - 新大阪駅 - ≪西九条駅≫ - 天王寺駅 -(鳳駅 - 和泉府中駅 - 日根野駅 - 和泉砂川駅) - 和歌山駅 -(海南駅 - 箕島駅 - 藤並駅 - 湯浅駅) - 御坊駅 -(南部駅) - 紀伊田辺駅 - 白浜駅 -(椿駅) - 周参見駅 - 串本駅 -(古座駅 - 太地駅) - 紀伊勝浦駅 - 新宮駅
- ()内の駅は一部列車停車
- <>内の京都駅は一部列車始発・終着駅
- ≪≫の西九条駅はユニバーサル・スタジオ・ジャパン開場時間に合わせ停車(朝の上りと夕方以降の下り)。
[編集] 編成
- ■枠=グリーン車 白枠=普通車 自=自由席 指=指定席 ×=禁煙席 ○=喫煙席 P=パノラマ車
- オーシャンアロー
←新宮 |
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1
P指× |
2
自× |
3
自○ |
4
指× |
5
指○ |
6
指× |
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- スーパーくろしお
新宮~京都・新大阪 |
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1
P指× |
2
自× |
3
自○ |
4
指× |
5
指○ |
6
指× |
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- 和歌山~新大阪の列車は分割・併結はなし
- 6~7号車通りぬけ不可
- くろしお
←新宮・白浜 |
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1
指× |
2
自× |
3
自○ |
4
指× |
5
指○ |
6
指× |
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[編集] 他の交通機関との競合
- 近年の阪和自動車道の延伸で年々高速バスやマイカーとの競合が激しくなってきている。2004年より明光バス が大阪(梅田、OCAT)・神戸(2007年から)~田辺、白浜へ高速バスを運行している。こちらは西日本JRバスとの共同運行のため、むしろ棲み分けの色合いが強い。運賃面ではバスに不利を被っているが、行楽期を中心に阪和道の渋滞(特に海南インター以南)が頻発するために所要時間面には優位にたっている。2007年9月より和歌山~白浜間の高速バスも設定される。
- 2002年以降、紀伊田辺・白浜~大阪間の鉄道の利用客は、毎年5%ずつ減少(5年で2割の減少に相当する)している[1]。鉄道は割引切符の発売で対抗しているものの、鉄道利用客の減少に歯止めがかからない状況である。
- 大阪~和歌山間では南海本線の特急「サザン」との競合がある。新幹線接続や所要時間面では優位に立っている。しかし割安なB特急料金が適用されるものの、JR西日本が近距離特急料金を設定していない(最短が50キロまで自由席630円、指定席940円~1,340円)関係で、通常特急料金が割高になる。そのため南海本線の特急「サザン」のワンコイン特急券(常時500円)への対抗上南大阪特急回数券(日根野、和泉府中駅向け:関空特急「はるか」にも適用)、阪和線特急回数券(和泉砂川、和歌山駅向け)や「はるか・くろしおマイシート」(特定列車の指定席、グリーン車利用)などを発売して常連客への値下げを行ってきている。ちなみに、この施策は琵琶湖線、JR宝塚線、北陸地区などでも行われている。
[編集] その他概要
- 南紀方面への観光特急の色合いが強いために、ほとんどの列車は自由席が2両しかない。しかし、近年は本列車と阪和線の快速列車群との格差が広がっている関係で新大阪~和歌山間の利用者が増えていることや、ラッシュ時には和泉府中駅と日根野駅、和泉砂川駅にも停車する列車が増えていることから、ラッシュ時を中心に特に2号車(禁煙車の自由席)に偏って激しく混雑する傾向がある。とりわけ和歌山始終着となる下り最終(35号)、上り初発(2号:臨時延長扱いで海南始発)の「スーパーくろしお」に関しては、阪和線内や新大阪から新幹線利用者の通勤特急的な色合いもあるために、自由席が4両になる。また、新宮発京都行き「スーパーくろしお6号」は、きのくに線内の通勤客に対応するため自由席が3両になる。
- なお2007年3月18日のダイヤ改正で近距離特急を中心に全面禁煙になったが、この列車では新宮発着もあるために全面禁煙とはならず、3・5・8号車は喫煙車である。
- 2号車(禁煙の自由席)に乗車の場合の1号車(グリーン車)からの乗車は禁止されている。しかし、実際には守られていない。
- 1989年までは全列車天王寺駅始終着だったが、今は天王寺始発は原則として臨時列車のみとなっている。また、東海道・山陽新幹線からの乗り継ぎで、天王寺発着の列車には、乗継割引は適用されない。
- 「くろしお」・「スーパーくろしお」・「オーシャンアロー」はみやこ列車区・天王寺車掌区・和歌山列車区・新宮鉄道部の車掌区が分担して担当している。また、全区間乗車する場合もあれば、和歌山や天王寺で引継ぎを行う場合もある。なお、交代は天王寺駅、和歌山駅、紀伊田辺駅で行う。
- 京都駅終着列車、および京都総合運転所から出庫する車両は、京都駅構内の引上線(鴨川の橋梁上にある)にて折り返し、下り京都発列車としてまたは京都総合車両所への回送で戻っていく。その間3番線と4番線の間にある電留線に一旦収容されるものもいる。なお、朝の京都始発列車には京都駅構内作業の煩雑さ回避のため、草津駅北側の電留線または野洲駅2番線を利用し始発を仕立てるものもある。一方、新大阪駅では直接11番線で折り返す場合、吹田信号所で折り返す場合、京都総合車両所まで引き上げる場合がある。
- 「くろしお」・「スーパーくろしお」として使用している381系も運転開始から20年以上が経過しており、バリアフリーへの対応や車両の老朽化が進んでいる為に後継車種の投入または米子支社381系同様にリニューアルが求められている。
- 鉄道趣味関係の雑誌では「阪和線内では振り子は使用しない」旨の記事が出ているが、381系使用列車は、実際には全区間で「振子制御NFB」は「入」になっているので、事実上、京都〜和歌山間でも振り子は動作している。ただし、速度制限は他列車と同一である。線路規格が低い線区(たとえば和歌山線)では「振子制御NFB」は「切」にするよう決められている。
[編集] 列車名について
「くろしお」の名称は、日本近海を流れる「黒潮」に由来するが、それ故この海流に面している地域で採用出来る列車名でもあった。そのため、大阪対南紀直通列車の系譜を引く紀勢本線列車以外にも日本国有鉄道(旧国鉄)では、四国・房総半島の合わせて3地域で「くろしお」・「黒潮」の名が同時使用され、重複するという事態が起こった。
これらは、1965年10月、四国の「黒潮」が「南風」に、房総の「くろしお」が「外房」にそれぞれ改称され、「くろしお」の愛称3重複はこの時解消した。
又、京成電鉄でもこの愛称を使用していたことがあったとされる。
なお、本列車群が通過する阪和線沿線杉本町駅に位置する大阪市立大学の鉄道同好会は、機関誌名をこの大阪対南紀直通列車群にちなみ「くろしお」と名乗っている。
[編集] 大阪対南紀直通優等列車沿革
[編集] 戦前南紀直通快速列車「黒潮号」
第二次世界大戦前の1933年11月~1937年12月、大阪から南海鉄道(現在の南海電気鉄道南海本線、以下「南海線」)ないしは、阪和電気鉄道を経由して白浜口駅(現・白浜駅)へ直通する週末快速列車「黒潮号」(くろしおごう)が運行された。詳細は同列車の項目を参照されたいが、運行当時は関西本線~王寺駅~和歌山線経由で連絡が可能であるものの、大阪~和歌山間を直接結ぶ鉄道を国鉄が管理しておらず、その点では私鉄による国鉄の飛び地路線への直通運転という異例な形を採ったことや、当時としては特別急行列車以外では異例とされた公募による列車愛称の付与、南海鉄道・阪和電気鉄道・鉄道省共にその運営事業者が互いの威信を賭け列車運行を行ったことで知られる。
[編集] 戦後の南紀直通列車の復活
- 1948年(昭和23年)7月1日、不定期列車として天王寺駅・和歌山市駅~新宮駅間を運行する夜行準急列車2010・2011列車が運行される。この列車が大阪対南紀直通優等列車の戦後復活運行とされる。
- 1949年(昭和24年)9月15日、2010・2011列車、天王寺駅~新宮駅間を運行する準急列車として定期列車化。
- 1950年(昭和25年)4月1日、天王寺駅~新宮駅間を運行する臨時昼行準急列車3401・3400列車が設定される。
- 1950年10月1日、天王寺駅~白浜口駅間を週末運行の臨時快速列車として3402・3403列車が設定される。この列車には戦前のそれに倣い「黒潮」(くろしお)の愛称が与えられた。
- 1951年(昭和26年)5月7日、夜行準急列車108・7列車を普通列車に格下げ。またこのころ、「黒潮」に南海線直通難波駅発着の編成が充当される。但し、運行当初は南海所有の客車が存在しないため、国鉄所有車両が乗り入れる形を採った。
- 1951年10月1日、準急列車105・106列車に「熊野」(くまの)の列車愛称が与えられる。
- 1952年(昭和27年)5月頃より、「黒潮」の難波駅発着編成に南海所有客車サハ4801形客車の使用を開始する。但し、1両のみの所有であったため、多客時には国鉄所有車両を貸し出す形で運用されていた。
- 1953年(昭和28年)5月1日、天王寺駅~白浜口間を運行する臨時準急列車として「南紀」(なんき)が運行を開始。同年11月11日には定期列車化する。
- 1954年(昭和29年)10月1日、「黒潮」天王寺駅発着1往復を増発。と同時に準急列車化。
- 1956年(昭和31年)11月19日、このときのダイヤ改正に伴い、天王寺駅~白浜口駅間を毎日運行する臨時準急列車「しらはま」と新宮駅→天王寺駅間を運行する準急列車103列車を設定。また、「黒潮」・「熊野」の愛称を「くろしお」・「くまの」とひらがな表記にする。
- 1957年(昭和32年)10月1日、「しらはま」定期列車化。
- 1958年(昭和33年)10月1日、準急103列車に「はやたま」の愛称が与えられる。
- 1958年12月1日、天王寺駅~白浜口駅間をキハ55系気動車による全車座席指定制準急列車「きのくに」が運行を開始する。
[編集] 紀勢本線全通後
- 1959年(昭和34年)7月15日、紀勢本線全通に伴い、以下のように変更する。
- 「くまの」の運行区間を天王寺駅~名古屋駅間に延長。紀勢本線全線を通しで運行する準急列車となる。
- 「きのくに」毎日運行の臨時列車1往復増発。この列車には南海線難波駅発着編成を連結する。
- このとき、南海側はキハ55系と同一水準のキハ5501形・キハ5551形気動車を新製し準備したが、南海側で自社線内での乗務員養成が間に合わず、エンジンをアイドリング状態にして電車で牽引していた。
- 天王寺駅~新宮駅間を運行する夜行普通列車を準急列車に格上げ。この列車に「はやたま」の愛称を与える。これにより、「はやたま」は変則的ながらも上下1往復の体裁が整う。
- 1959年(昭和34年)9月22日、「南紀」運行区間を天王寺駅~新宮駅間に延長。同時に気動車化を行う。
- 1959年(昭和34年)10月20日、従来毎日運行の臨時列車であった「南紀」・「きのくに」1往復を定期列車化。
- 1960年(昭和35年)6月1日、「はやたま」を「南紀」に編入。これにより、「南紀」は気動車昼行列車と客車列車1往復ずつの2往復体制を採る。
- 1960年10月28日、毎日運行ながら天王寺駅~新宮駅間を運行する臨時準急列車として「臨時南紀」(りんじなんき)が運行を開始。
- 1961年(昭和36年)3月1日、ダイヤ改正に伴い、以下のように変更する。
- 天王寺駅~名古屋駅間運行の紀勢本線直通列車の愛称を「くまの」から「紀州」(きしゅう)に変更。また、使用車種を客車から気動車に変更し、列車種別を準急列車から急行列車に昇格する。
- 「臨時南紀」を「南紀」に編入。これにより、「南紀」3往復体制となる。また、昼行列車の一部に南海線難波駅発着の編成を連結を開始する。
- 1962年(昭和37年)2月1日、天王寺駅行き「南紀2号」を客車列車化する。
- 1962年(昭和37年)3月1日、ダイヤ改正に伴い、以下のように変更する。
- 奈良線経由京都駅・関西本線経由名古屋駅・阪和線経由天王寺駅~白浜口駅間を運行する準急列車「はまゆう」が運行を開始する。
- この「はまゆう」は京都駅を奈良線を経由したのち奈良駅で名古屋駅発着編成を連結し、和歌山線を経由して東和歌山駅(現在の和歌山駅)で天王寺駅発着編成を連結する多層建て列車であった。
- 新宮駅→白浜口駅→五条駅→奈良駅→四日市駅→名古屋駅間を運行する準急列車「はやたま」が運行を開始する。
- 1962年(昭和37年)6月10日、天王寺駅~紀伊椿駅(現:椿駅)間運行の「きのくに」1往復を増発。
- 1963年(昭和38年)10月1日、ダイヤ改正に伴い、以下のように変更する。
- 「はまゆう」の天王寺駅発着編成の列車を「しらはま」に変更。また、「はやたま」に白浜口駅→天王寺駅間編成を連結開始し、これにも「しらはま」の愛称を与える。これにより、「しらはま」白浜口駅行2本天王寺駅行3本の体制を採る。
- 「南紀」の難波駅発着を増発。昼行の全列車が天王寺駅・難波駅~新宮駅間の運行となる。
- 「きのくに」1往復増発 4往復体制を採る。
[編集] 特急「くろしお」の登場とその後の展開
- 1965年(昭和40年)3月1日、天王寺駅~名古屋駅間を関西本線・紀勢本線・阪和線経由で運行する特別急行列車として「くろしお」の運行を開始する。
- 特急となった「くろしお」は新たに和歌山機関区に配属となったキハ80系を使用した。また、本列車運行開始時には白浜や新宮はまだ国内新婚旅行需要が大変大きく、キハ80系でも異例の1等車の3両連結運転も行われた。
- 入出庫と運用間合を兼ねて、和歌山-名古屋間に関西線経由の特急あすかも同時に運転を開始。
- 1965年(昭和40年)10月1日、ダイヤ改正に伴い、以下のように変更する。
- 「しらはま」天王寺駅行1本増発をする。
- 「きのくに」白浜駅行き1本を新宮駅まで運行区間を変更。
- 1966年(昭和41年)3月5日、準急制度改変に伴い、「はまゆう」・「しらはま」・「南紀」・「きのくに」・「はやたま」急行列車に格上げ。
- 1966年10月1日、ダイヤ改正に伴い、以下のように変更する。
- 「はまゆう」運行経路を王寺駅・和歌山線経由から桜井線・和歌山線経由とする。
- 「南紀」天王寺駅・難波駅行き1号の始発駅を熊野市駅とする。但し、熊野市駅~新宮駅間は普通列車扱いとする。
- 1967年(昭和42年)10月1日、ダイヤ改正に伴い以下のように変更する。
- 「くろしお」天王寺駅~白浜駅、天王寺駅~新宮駅間各1往復ずつ増発。これにより、3往復で運行する。また「くろしお」の列車号数を下り天王寺駅行きを奇数、上り名古屋駅行きを偶数とする。
- 関西線経由の特急「あすか」は同年9月30日をもって廃止。以降東和歌山~天王寺駅間の入出庫は回送扱いとなる。
- 「しらはま」1往復廃止。「しらはま」白浜駅行き3本天王寺行き2本の運行となる。
- 「はやたま」運行経路を桜井線経由に変更。
- 1968年(昭和43年)10月1日、のちに「よんさんとお」と称されるダイヤ改正に伴い、以下のように変更する。
- 「くろしお」列車号数を上り名古屋駅行き方向偶数・下り天王寺駅方向奇数とする符番から上り・下り共に出発順に符番する方式に戻す。また、季節列車として天王寺駅~白浜駅間では白浜駅行きを2本、天王寺駅行きを1本、天王寺駅~新宮駅間では新宮駅行きを1本、天王寺駅行きを1本増発する。但し、天王寺駅→新宮駅間のそれは天王寺駅→白浜駅間運行の定期列車を白浜駅→新宮駅間を延長する形で増発となった。
- 東和歌山駅を発着し紀勢本線内で完結する急行列車の内、阪和線・南海線直通の急行列車の愛称として「きのくに」の愛称が与えられる。これにより、「きのくに」は定期列車では天王寺駅発10本、天王寺駅行き8本、季節列車3往復、難波駅発着は定期列車3往復、季節列車1往復の体制となる。また、この時に「南紀」の名称は廃止される。
- 奈良駅を経由して紀勢本線に発着する急行列車であった「はまゆう」・「はやたま」の愛称を統合。新たに「しらはま」の愛称を与えられる。「しらはま」は京都駅・名古屋駅~白浜駅1往復と新宮駅→白浜駅→五条駅→奈良駅→名古屋駅間の1本となる。
- 名古屋駅~天王寺駅間直通急行列車であった「紀州」は名古屋駅発着の紀勢本線急行列車の総称となる。なお、この際、1往復名古屋駅~紀伊田辺駅間運行列車も設定される。→こちらも参照されたい。
- 1969年(昭和44年)10月1日、「きのくに」天王寺駅~白浜駅間運行の臨時列車を1往復増発する。
- 1970年(昭和45年)10月1日、このときのダイヤ改正により、「くろしお」白浜駅→天王寺駅間運行の季節列車を1本増発。また、天王寺駅~白浜駅間運行の1往復を季節列車化する。
- 1971年(昭和46年)11月2日、天王寺駅~紀伊勝浦駅間を運行する臨時特別急行列車として「ブルースカイ」が運行される。
- 1972年(昭和47年)3月15日、このときのダイヤ改正により、以下のように変更する。
- 「くろしお」は白浜駅発着列車を新宮駅発着に変更し、新宮駅発着3往復、名古屋駅発着1往復の4往復体制となる。
- 「しらはま」の名古屋駅・京都駅~白浜駅間運行の(白浜駅行)1号・(白浜駅発)2号は京都駅~白浜駅間運行とする。これにより、「しらはま」は新宮駅→奈良駅→名古屋駅間運行の「しらはま1号」と京都駅~白浜駅間1往復(<白浜駅行>1号・<白浜駅発>2号)となる。
- 1972年(昭和47年)10月2日、「きのくに」1往復を格上げし、「くろしお」天王寺駅~白浜間1往復増発。5往復体制となる。
- この増発に当てられた車両は日本海縦貫線の電化完成に伴い「いなほ」・「ひたち」に使用していたキハ80系で、この中にボンネット型先頭車両であったキハ81形車両が含まれていた。キハ81は名古屋発着の1往復にもっぱら当てられ、キハ81形最後の使用列車となった。
- 1973年(昭和48年)10月1日、このときのダイヤ改正により、以下のように変更する。
- 伊勢線開業に伴い、天王寺駅~名古屋駅間直通の「くろしお」・「紀州」は亀山駅経由を改め、伊勢線鈴鹿駅経由に変更する。
- 「紀州」名古屋駅→紀伊田辺駅間運行の1本を天王寺駅行きに運行区間を延長する。なお、この列車の名古屋駅行きは紀伊田辺駅始発となり、伊勢線鈴鹿駅経由で運行された。
[編集] 紀勢西線電化とエル特急「くろしお」への収斂
- 1978年(昭和53年)10月2日、紀勢本線和歌山駅~新宮駅間の電化完成に伴い、以下のように変更。
- 従来「くろしお」として運行されていた特急列車は新宮駅を境に以下のように運行体系を分離。
- 天王寺駅~白浜駅・新宮駅間運行の電車エル特急「くろしお」
- なお、「くろしお」だけをみると、運行本数は白浜駅発着2往復(内季節列車1往復)、新宮駅発着8往復(内季節列車1往復)となった。新たに振り子式電車である381系電車を使用することになり、新設された日根野電車区に10編成90両が新製車で配置された。(これにより、キハ81型気動車が全国の定期運用から姿を消すことになる。)
- 名古屋駅~紀伊勝浦駅間運行の気動車特急「南紀」
- 急行列車については以下のように変更。
- 「きのくに」9往復に減便。但し、南海線乗り入れ車両が気動車のみであったことや、参宮線鳥羽駅直通列車が存在したことで気動車での運行となる。また、紀伊田辺駅→新宮駅間運行の「きのくに2号」が設定される。
- 「紀州」は名古屋駅~紀伊勝浦駅間のみの運行となる。
- 全国で在来線列車の号数を下り奇数・上り偶数とした。これにより、紀勢本線の終点となる和歌山市駅(←天王寺駅・難波駅)方向は奇数、起点となる亀山駅(←名古屋駅)方向となる列車には偶数の符番がなされた。
- 1980年(昭和55年)10月1日、このときのダイヤ改正に伴い、以下のように変更する。
- 「きのくに」3往復を格上げする形で天王寺駅~白浜駅間の「くろしお」3往復増発。これにより、「くろしお」10往復、「きのくに」季節列車を含めて6往復となる。381系は2編成18両が新たに追加新製され、日根野配属となる。
- 「しらはま」は廃止。新宮駅→名古屋駅間運行の「しらはま1号」の内、奈良駅→名古屋駅間を「かすが」、京都駅~白浜駅間運行の「しらはま3号・2号」の和歌山駅以北を「紀ノ川」(きのかわ)として分離する。
- 1982年(昭和57年)5月17日、関西本線名古屋駅~亀山駅間電化に伴い、以下のように変更する。
- 「くろしお」白浜駅発着1往復を季節列車化し、定期列車としては9往復に減便する。また、従来新宮駅発着の季節列車を白浜駅発着とする。
- 「きのくに」鳥羽駅乗り入れを終了し、天王寺駅/難波駅~白浜駅・新宮駅・熊野市駅間及び紀伊田辺駅→新宮駅間のみの運行となる。
- 1982年11月15日、「きのくに」の天王寺駅~新宮駅間運行の夜行列車を季節列車化する。
- 1984年(昭和59年)2月1日、「きのくに」夜行列車廃止。なお、この時には「きのくに」は天王寺駅発は3本、天王寺駅行き5本・難波駅発着は2往復であったが、和歌山市駅構内を除きほぼ「全区間架線下を走る気動車列車」となっていた。しかし、南海側では車両の更新が出来ず、車両自体も冷房化が出来ない為、当時すでに冷房化が実施された国鉄側の車両や、料金不要の普通列車にまで冷房化が進んでいた南海線内での他列車に比べ見劣りするようになっていた。
- 1984年(昭和59年)9月30日、桜井線・和歌山線電化に伴い、「紀ノ川」廃止。
- 1985年(昭和60年)3月14日、このときのダイヤ改正により、以下のように変更する。
- 「くろしお」4往復増発。これにより13往復体制となる。この増発には、新幹線開業で余剰となった仙台・青森所属車や改造先頭車、南福岡電車区から捻出させた485系電車44両を日根野区に転属させ充当した。
- しかし、鳳駅以南で振り子を効かせている381系と比較して、天王寺駅~新宮駅間で所要時間が1時間半も差があって、気動車急行列車と大差ない時間で運行された。この485系を使ったくろしおは381系列車より停車駅が多く、気動車急行をそのまま電車特急に置き換えた形である。これに伴い、紀勢線内はB特急料金適用区間となった。
- 485系電車の編成はグリーン車を持たない普通車の4連で組成され、列車によっては白浜駅での分割により白浜以北を8連、以南を4連で走るものもあった。
- また381系では各駅到着前に違う車内チャイムをテープ録音により放送するようになった。曲はその駅のイメージに合った、民謡・童謡・唱歌等をアレンジしている。例えば和歌山駅では「マリと殿様」、紀伊田辺駅では「牛若丸」、串本駅では「串本節」、白浜駅では「潮騒のメロディ」(原曲:愛のオルゴール)などがあてがわれた。
- 「きのくに」は「くろしお」に昇格。これに伴い、紀勢本線・阪和線で運行する定期急行列車は廃止となった。また、「黒潮号」以来の南海線難波駅発着列車は運行を終了することとなる。
- 1986年(昭和61年)11月1日、国鉄最後のダイヤ改正に伴い、「くろしお」の運行見直しが行われる。
- 「くろしお」定期列車としては11往復となる。
- 福知山線宝塚駅~山陰本線城崎駅間電化に伴い、同区間を運行する新設エル特急「北近畿」に485系電車を使用することとなったため、再び「くろしお」全列車は381系電車で運転されることになった。このとき485系の代替として転入した381系(18両)は「やくも」の編成短縮による捻出された。
[編集] JR化以降の展開
- 1987年(昭和62年)12月~1988年(昭和63年)1月、京都駅~白浜駅間を奈良線・関西本線・阪和貨物線・紀勢本線経由で運行する臨時特急列車として「ふれ愛紀州路」(ふれあいきしゅうじ)が運行される。
- 1988年(昭和63年)3月13日、このときのダイヤ改正に伴い、以下の通り変更された。
- 京都駅~白浜駅間を奈良線・関西本線・阪和貨物線・紀勢本線経由で運行する臨時特急列車として「しらはま」が運行される。
- 運行概要としては、主に京都駅発は土曜日に、白浜駅発は日曜日に運行されていた。名古屋駅~東和歌山駅(現:和歌山駅)間を運行した「あすか」とならび、奈良県内を走る唯一のJRの特急列車となった。
- 「くろしお」新宮駅発着の季節列車を定期列車化。
- 1989年(平成元年)3月11日、このときのダイヤ改正により、以下のように変更する。
- 「くろしお」白浜駅発着を1往復増発し合わせて同駅発着の季節列車3往復を定期列車化。これにより、季節列車1往復を含む16往復体制をとる。
- 「しらはま」廃止。
- 1989年7月22日、このときのダイヤ改正により、以下のように変更する。
- 「くろしお」の内4往復をグリーン車をパノラマ型に改造した車両を使用した特急列車「スーパーくろしお」の運行を開始。
- 「くろしお」・「スーパーくろしお」の京都駅・新大阪駅に乗り入れを開始。なお、京都駅乗り入れは「スーパーくろしお」のみであった。
- 各駅到着前に流れる車内チャイムを更新。新たに沿線案内放送も加えてテープで流すようになった。
- 「くろしお」・「スーパーくろしお」の列車号数符番が新宮駅方面を奇数、京都駅・新大阪駅方向を偶数とする符番に変更。
- 1991年(平成3年)3月18日、「くろしお」1往復を「スーパーくろしお」に変更。
- 1994年(平成6年)9月4日、関西国際空港開港に伴い、一部列車が日根野駅停車になる。
- 1996年(平成8年)7月31日、3往復に283系を用いて「スーパーくろしお(オーシャンアロー)」を運行開始。
- 1996年12月、この頃より、平日に紀伊田辺駅→天王寺駅間を運行する臨時特急列車「おはようくろしお」の運行が開始される。
- 1997年(平成9年)3月8日、「スーパーくろしお(オーシャンアロー)」の列車名を、「オーシャンアロー」へ変更する。
- 1998年(平成10年)、この頃より、381系にアコモ改良され塗装が変更、さらに車内チャイムと沿線案内が更新された。
- 2001年(平成13年)3月3日、「おはようくろしお」を定期列車化する形で天王寺駅~紀伊田辺駅発着の「くろしお」を運行開始。ラッシュ時に和泉砂川駅が追加停車になる。
- 2002年(平成14年)7月20日、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンができたことで、一部が西九条駅停車になる。
- 2004年(平成16年)10月16日、早朝・深夜の「はんわライナー」1往復を格上げし、和歌山駅発着の列車も運行開始。
- 2005年(平成17年)3月1日、朝の和歌山始発の列車は、臨時ではあるが海南駅発に改められる。
- 2005年夏、京橋駅・大阪駅~白浜駅間に、臨時特急「ホワイトビーチエクスプレス」が運転された。
- 2007年(平成19年)10月1日、女性グループでの利用を見込んで、「くろしお」・「スーパーくろしお」・「オーシャンアロー」の指定席のうち12席が女性専用指定席となる。女性専用指定席についてはサンダーバードも参照。
- 2008年(平成20年)3月15日、「くろしお」・「スーパーくろしお」・「オーシャンアロー」のうち上下計18本が新たに藤並駅停車になる。