きだみのる
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きだ みのる(本名・山田吉彦 1895(明治28)年1月11日 - 1975(昭和50)年7月25日) は鹿児島県奄美大島出身の小説家、翻訳者。
若年期は転居、家出、旅を多くする。アテネ・フランセ創設者のジョセフ・コットに身近く薫陶を受け、後には仏語教師として自らもアテネ・フランセの教壇に立つなどした。開成中学~慶應義塾大学中退後にパリ留学。ソルボンヌ(パリ大学)でマルセル・モースに師事し社会学・人類学を学ぶ。 帰国後は戦中戦後の長期に亘り、東京恩方村にこもるようにして暮らすことになる。 1948(昭和23)年『気違い部落周游紀行』で第2回毎日出版文化賞を受賞する。 アカデミックな分野への貢献と土着の平凡な市民生活への眼差しとの双方を持ち、広く国内外を旅し、戦前戦後の社会の激動を身をもって体験する立場にもしばしば際会した事から、それらの経験は深刻で説得力のある痛烈な社会批判も可能としたはずであるが、著作中では敢えてそれをせず、いささかの例外はあれど落ち着いた諧謔味ある文体を常とした。また、自由を好み束縛を嫌う性向があり、中途までエリートコースを歩んできながら、社会的「大成」を目標とすることに対し、生涯に亘り少なからぬ忌避感があった事が見て取れる。
山田吉彦名義での著書・訳書にファーブル『昆虫記』(林達夫共訳)、レヴィ・ブルュル『未開社会の思惟』、マルセル・モース『交換に関する試論』、『モロッコ紀行』、『ファーブル記』、きだ名義での著書・訳書に『道徳を否む者』、『南氷洋』、『鼻かけ男の話』、『ドブネズミ漂流記』、『渚と潮』、『人生逃亡者の記録』、ロジェ・バイヤン『掟』などがある。
筆名使用当初は「木田実」と漢字表記。左右対称になる字形を気に入っていたらしいが、いつしか平仮名で表記するようになったという。
子が幾人かあったがそのうちの女児ひとりを養子縁組し引取り養育したのが三好京三夫妻で、この実体験が「子育てごっこ」に著されたことはあまりにも有名である。