あめぞう
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あめぞう(「あめぞう掲示板」とも)はあめぞう氏が開設した、日本初とされるスレッドフロート型掲示板の集合体から成る電子掲示板群サイトである。1997年8月5日に「あめぞうリンク」という掲示板リンク集として開設された。スレッドフロート型掲示板が設置されたのは1998年9月6日である。
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概要
あめぞう以前の大型有力掲示板サイトは、多くのアクセスが集中し、多大な記事が投稿されるため、たいへん利用しづらいものであった。例えば、記事ツリーが縦方向に長くなってしまい、古い記事ほど下へ下へと押し出され、目当ての記事を探し出すのも一苦労だった。また個人運営のサイトは、有名になってアクセスが殺到すると、たちまちレスポンスが重くなってしまい、使い物にならなくなった。
そういった常識を覆したのが、スレッドフロート型掲示板を採用したあめぞうであった。これが当時としてはたいへん画期的な操作性、利便性を持っており、使いやすさが利用者間のコミュニケーションをそれまでより容易にした。そして、サーバレンタル会社との提携による(無料サイトに依らない)ディスクスペース確保など、非商用レベルの個人運営サイトでありながら、本格的掲示板サイトの先駆けであった。
あめぞうが1999年12月下旬にサイトとしての活動を停止するまでの間、多くの人が訪問した。開設当時の情勢としては、パソコンが高額であり、インターネットがまだ広く認知されておらず、ISDN回線が普及し始めた頃であり、商用ADSLも立ち上がっていなかったため、ユーザはコア層、好事家層の割合が高かった。従って、コンテンツとしては、ワレズと呼ばれたソフトウェアの違法コピーをはじめとした、アンダーグラウンドな話題が中心であったが、議論の水準は比較的高かったと考えられる。また、雑談のほか、株式・経済・社会情勢・コンピュータ関連など、様々な話題も活発に語られていた。
あめぞうの荒廃、そして閉鎖へ
だが、1999年に入りサーバ不調や荒らしが増え始めたこと、一部掲示板の書き込みによってあめぞう氏が脅迫を受けたとされることなど、運営において様々な問題が起こってきていた。
- この時、あめぞう氏は掲示板上で、サイトの引き継ぎ先の団体を求めていた。ひろゆきがそれに応じる発言をしていたが、あめぞう氏は「個人では自分と同じ結果(脅迫などの圧力を受け、運営ができなくなる状態)になってしまう」とそれを断った経緯がある。
それととともに、そのころ開設された2ちゃんねるに利用者が移ったこともあり(当時は両サイトを兼用する利用者もいた)、徐々にあめぞうは衰退していった。さらに追い打ちをかけるように、あめぞうウイルスといわれるスタイルシートを利用した荒らしが発生、あめぞう掲示板は壊滅し、事実上復旧することはなかった。(ただし、サーバ設定の変更などによって、一時的ではあったが一部の板が使用可能になったことがあった。現在あめぞうの過去ログとして残されているもの多くは、その時にサルベージされたものである。)
その他
なお、2007年現在ある「あめぞう(本記事のサイトとは別サイト。通称「仮」)」「あめざーねっとIII」「三河版」などは、当時の利用者による、あるいはその流れをくむ掲示板群である。
上記の理由により運営自体が不安定であった1999年5月30日、コテハンの一人であったひろゆきによって、避難所ともいえる掲示板群が開設された。「あめぞうの別チャンネル」と称し、海外の無料サーバスペースで始められた掲示板が、後の2ちゃんねるである。