LYOTO
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LYOTO | ||||||||
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基本情報 | ||||||||
本名 | リョウト・カルヴァーリョ・マチダ | |||||||
通称 | 猪木の秘蔵っ子 The Dragon |
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国籍 | ブラジル | |||||||
誕生日 | 1978年5月30日(30歳) | |||||||
出身地 | ブラジル バイーア州サルヴァドール |
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所属 | ブラック・ハウス | |||||||
身長 | 185cm | |||||||
体重 | 93kg | |||||||
階級 | ライトヘビー級 | |||||||
スタイル | 空手、相撲、 ブラジリアン柔術 |
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テーマ曲 |
リョウト・カルヴァーリョ・マチダ(Lyoto Carvalho Machida、1978年5月30日 - )は、ブラジル出身の総合格闘家。主なバックボーンは空手。ブラック・ハウス所属。日本でのリングネームは"LYOTO"。日系2世。
目次 |
[編集] 来歴
父がブラジルへ移民した日本人町田嘉三、母は父方がユダヤ系母方がブラジル人のハーフで、4人兄弟の3男(一人の養子を入れると5人兄弟だが、大学卒業と同時にその養子は親元に戻る)。全員が空手の選手という格闘ファミリーに生まれ育った。アントニオ猪木の実兄がサンパウロに開設した空手道場の師範をLYOTOの父・町田嘉三(日本空手協会七段)が1年ほど務めたことがある。そのような事もあり、町田家と猪木家には親交があり、猪木の実兄がアントニオ猪木にLYOTOを紹介することで総合格闘技デビューすることとなった。また、LYOTOの父、猪木の実兄2人ともブラジル伝統派空手の重鎮である。
アマゾンに空手道場を開いた父の下で4歳より稽古。相撲や柔術も習得し、地元の各大会で優勝を重ねる。ムエタイ、レスリングの心得もある。
ブラジルの様々な格闘技大会で優勝を重ねていたLYOTOは、2000年、アントニオ猪木にスカウトされ、アメリカの新日本プロレス道場で総合格闘技のトレーニングを積む。
空手では2度のブラジル王者、南アメリカ選手権での準優勝などの実績を持つ[1]。(父はインタビューで「LYOTOは4度ブラジル王者になっている」と発言している。)
2003年5月2日、新日本プロレスが開催した総合格闘技大会「アルティメット・クラッシュ」でプロデビュー。謙吾と対戦し、3-0の判定勝ち。試合後、リングサイドで観戦していたアントニオ猪木から祝福を受けるとともに、拳骨で制裁を受けた。
2003年9月13日、Jungle Fight 1にてステファン・ボナーと総合格闘技ルールで対戦し、TKO勝ち。
2003年12月31日、INOKI BOM-BA-YE 2003でそれまで総合格闘技無敗であったリッチ・フランクリンに打撃の連打でTKO勝ち。
2004年3月14日、K-1 BEAST 2004にてマイケル・マクドナルドと総合格闘技ルールで対戦し、前腕チョークで一本勝ち。
2004年5月22日、K-1 ROMANEXでサム・グレコと総合格闘技ルールで対戦し、2-1の判定勝ち。
2005年3月26日、HERO'Sに参戦し、BJペンと互角に闘い3-0で判定勝ち。本来、自身より20kg前後も軽いBJとの異質な試合であった。
2006年4月29日、Jungle Fight 6にてディミトリ・ヴァンダレイと対戦、TKO勝ち。
2006年5月26日、グラップリング大会LA SUB X第1回大会でハファエル・ロバトJrと対戦、1.2Rで決着が付かなかったため2度延長ラウンドを行いテイクダウンポイント1点を奪ったLYOTOが、ポイント1-0で判定勝ち。
2006年7月22日、ドン・キングが主催するWFAにて-93kg契約でヴァーノン・"タイガー"・ホワイトと対戦、3-0の判定勝ち。
2007年2月3日、UFC初参戦となるUFC 67でサム・ホーガーと対戦し、3-0の判定勝ち。無差別的な試合を多く重ねてきたLYOTOだが、本人がかねてから希望していたライトヘビー級(約93kg)での参戦であり、初戦は以前よりも引き締まった体型を披露した。
2007年4月21日、UFC 70でデビッド・ヒースと対戦、3-0の判定勝ち。かつては100kgオーバーでポッチャリした身体をしていたが、計量で90.3kgを計測した。
2007年9月22日、UFC 76で中村和裕と対戦、3-0の判定勝ち。
2007年12月29日、UFC 79でソクジュと対戦し、肩固めで一本勝ち。
2008年5月24日、UFC 84でティト・オーティズと対戦し、3-0の判定勝ち。レスラーのティトから一度もテイクダウンされず、逆に1Rにテイクダウンを奪い、3Rには膝蹴りでダウンを奪った。
[編集] 人物
兄に、総合1勝1敗(2007年2月現在)で、2006年に日本空手協会の世界大会で準優勝したSHINZOがいる。
[編集] 無敗対決
LYOTOはそのキャリアの中で多くの無敗対決をし、相手に初黒星を付けている。デビュー2戦目のボナー、3戦目のフランクリン、4戦目のマクドナルド、5戦目のグレコ、10戦目のヒースはいずれも対戦当時にプロ総合格闘技で無敗であり、キャリアの中で5戦の無敗対決を行い全てに勝利している。
[編集] 戦績
[編集] 総合格闘技
総合格闘技 戦績 | ||||||
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13 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
13 勝 | 3 | 2 | 8 | 0 | 0 | 0 |
0 敗 | 0 | 0 | 0 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
○ | ティト・オーティズ | 5分3R終了 判定3-0 | UFC 84: Ill Will | 2008年5月24日 |
○ | ソクジュ | 2R 4:20 肩固め | UFC 79: Nemesis | 2007年12月29日 |
○ | 中村和裕 | 3R終了 判定3-0 | UFC 76: Knockout | 2007年9月22日 |
○ | デビッド・ヒース | 3R終了 判定3-0 | UFC 70: Nations Collide | 2007年4月21日 |
○ | サム・ホーガー | 3R終了 判定3-0 | UFC 67: All or Nothing | 2007年2月3日 |
○ | ヴァーノン・"タイガー"・ホワイト | 3R終了 判定3-0 | WFA | 2006年7月22日 |
○ | ディミトリ・ヴァンダレイ | 3R TKO | Jungle Fight 6 | 2006年4月29日 |
○ | BJペン | 3R終了 判定3-0 | HERO'S | 2005年3月26日 |
○ | サム・グレコ | 3R終了 判定2-1 | K-1 ROMANEX | 2004年5月22日 |
○ | マイケル・マクドナルド | 1R 2:30 前腕チョーク | K-1 BEAST 2004 〜新潟初上陸〜 【K-1 MMA ルール】 |
2004年3月14日 |
○ | リッチ・フランクリン | 2R 1:03 TKO(パンチ) | INOKI BOM-BA-YE 2003 | 2003年12月31日 |
○ | ステファン・ボナー | 1R 4:21 TKO | Jungle Fight 1 | 2003年9月13日 |
○ | 謙吾 | 3R終了 判定3-0 | 新日本プロレス ULTIMATE CRUSH | 2003年5月2日 |
[編集] グラップリング
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
○ | ハファエル・ロバトJr | 延長2R終了 ポイント1-0 | LA SUB X | 2006年5月26日 |