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高麗 - Wikipedia

高麗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

高麗
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各種表記
ハングル 고려
漢字 高麗
平仮名
(日本語読み仮名)
こうらい
片仮名
(現地語読み仮名)
コリョ
ラテン文字転写: Goryeo文化観光部2000年式
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高麗(こうらい)は、王建(太祖)が建てた朝鮮半島の国(918年 - 1392年)。都は開城

朝鮮をさすKoreaコリア)の語は、漢字表記「高麗(かうらい)」の16~17世紀における日本語音が(*[kaurai]>)[kɔ:rai]ないし[ko:rai]であり、朝鮮語で[korjɔ]、このいずれかが西洋にもたらされたものらしい。マルコ・ポーロ東方見聞禄ではCauli表記。中東商人はkauli kauriの音写で伝えているが、高をkoの音になっていることから、中原方言以外の音が伝わった可能性が高い。英和辞典では中国語のKaoli(Gāolí [kauli])を挙げているものもある。昔の日本や今の中国では一部で高句麗を「高麗」と記し、六国史などでは渤海を「高麗」と記すため、区別上「王氏高麗」ということもある。

日本では戦時中の「尋常小学校」の「国史」の教科書では、高句麗が「高麗」と書かれてふりがなが「こま」、元寇のときの高麗は漢字が「高麗」でふりがなが「かうらい」という表記法だった。今の中国でも高句麗を「高麗(Gāolí)」、高麗を「朝鮮(Cháoxiān)」と呼ぶ人が一部でいる。

目次

[編集] 歴史

朝鮮の歴史
朝鮮の歴史
伝説時代
(檀君朝鮮)
(箕子朝鮮)
衛氏朝鮮
漢四郡 高句麗 弁韓 辰韓 馬韓 三韓時代
高句麗 (伽耶) 新羅 百済 三国時代
渤海 統一新羅 南北国時代
渤海 後高句麗 新羅 後百済 後三国時代
高麗
李氏朝鮮
大韓帝国
日本統治時代
連合軍軍政期
朝鮮民主主義人民共和国 大韓民国

[編集] 建国

新羅は朝鮮半島を統一し、仏教文化を成立させただけでなく民衆の生活も豊かにした。しかし8世紀末から9世紀まで王位継承戦争が起きたほか地方のあちこちでも農民の反乱が起き、新羅の政府の命令は遠い地方では無視されるようになった。この乱れてしまった政局は真聖女王の時に一層激しくなり、地方の有力な豪族たちが新羅を分裂させた。892年、半島西南部で甄萱後百済を建国し、901年には弓裔後高句麗を建国した。これ以降を後三国時代と呼ぶ。

王建は後高句麗の将軍であった。王建は後百済との戦争で何度も勝利し、立派な人格で群臣たちの信望が厚かった。しかし弓裔には嫌われ命を狙われそうなこともあった。弓裔は宮殿を再建したため動員された民衆の不満が高まった。また自分を弥勒菩薩と呼ばせて観心法で人の心を見ることができると言い反対派を粛清した。王建は弓裔の暴政に対して政変を起こし、918年高麗を起こした。朝鮮半島は高麗と後百済の戦争が続き分裂したままかと思われたが、935年、後百済の王の甄萱が4男に王位を継がせようとして長男の神劍(後百済の2代王)に反乱を起こされた。神劍は甄萱を寺院に監禁し、王位を奪った。結局、甄萱は935年3月、後百済から逃げ出して高麗に亡命した。王建は甄萱を国賓として迎えた。同年、新羅は高麗に自ら降伏した。高麗は936年に後百済を滅亡させ、朝鮮半島は高麗によって統一された。

[編集] 北進政策と契丹侵入

その間、926年に北方民族契丹916年成立)が渤海を滅ぼすと、高句麗時代の版図を取り戻す北進政策の一環として渤海遺民を吸収し、鴨緑江以南を支配する。これにより現在の大韓民国朝鮮民主主義人民共和国の西部を合わせた地域を版図とした。また、中国大陸の戦乱(五代十国)が960年建国)によって統一される気運となると、宋に朝貢した。

宋は漢民族を統一したが、北方の周辺異民族を制する力はなく、契丹は急速に高麗との国境まで版図を広げ。さらに993年から朝貢を求めて大規模な侵入を行う。高麗はこれを撃退したのち、江東6州の獲得と引換えに翌994年に朝貢した。1009年に高麗で政変が起きると、契丹はこの隙を突いて1010年に再度侵入し、首都開城に攻め込む。しかし高麗の将軍・姜邯賛の策により、開城には高麗軍も物資もなく、補給に難が生じた契丹軍は開城から後退。この間高麗王は羅州に避難した。姜邯賛は西京以北の要所要所に伏兵を配置し、後退する契丹軍に反撃を加えて勝利した。こののちも契丹は1013年から1015年まで継続して侵入するが高麗は1015年にこれを撃退する。しかし契丹はその年のうちに再再度侵攻した。高麗は1016年に宋の年号を用いた。1018年、蘇排押率いる10万の契丹軍が高麗に攻め込むが姜邯賛率いる高麗軍14万が鴨緑江と亀城にて、これを迎え撃ち大勝利を収めた。この戦いで生き残った契丹兵は、僅か数千に過ぎなかった。(亀州大捷)。侵攻は1019年まで続き、高麗は何度もこれを撃退するが、1020年に和がなり、1022年には遼の年号を用いて再び朝貢した。

その後、契丹の目は西方のウイグルに向かったため、高麗に接した地域では女真が台頭した。女真は1019年に日本へ侵攻(刀伊の入寇)した民族だと考えられているが、契丹と共に彼らが脅威となったため、1033年から1044年にかけて、北部国境に半島を横断する長城を築くなどして抵抗した。1037年に契丹水軍が長城の及ばない鴨緑江を侵したが、この後はおおむね安定を取り戻し、高麗青磁など美しい磁器が発達し、仏教が普及した。

この間に女真の台頭は著しく、1107年に激しい攻撃を受けた。女真は1115年を建て、1125年に遼を滅ぼした。そのため高麗は、翌1126年に金に朝貢した。金は中華帝国となるべく、宋への介入に集中したため、高麗はそれほどの介入を受けずに済んだ。国内はおおむね安定し、1145年には現存最古の朝鮮史書「三国史記」が完成した。

[編集] 武臣政権と蒙古侵入

12世紀中ごろから王や文人が政治をないがしろにするとして、武人が政権獲得の気運を伺うようになった。1170年には武臣(軍人)である鄭仲夫がクーデターを起こして国王を廃位し、武臣政権時代が始まる。しかし、他の武臣の反発を招き、1179年に暗殺される。その後、李義ビンが政権を握るが、崔忠献により暗殺され、その後、武臣同士の内紛を制して1194年に政権を掌握した崔忠献は4代続く安定政権を建てた。これは同時期の日本において天皇家が暴政をしき、これに倦んだ民心を汲んだ鎌倉幕府が成立したのと並行する現象で、興味深い。

崔氏政権下、北方ではチンギスハン率いるモンゴル(蒙古)が台頭し、金を圧迫していた。このため1224年に金の年号を止め、独立を回復した。しかし、1231年から蒙古(後の)の侵入が始まる。崔氏は国王を連れて1232年に都を開城から江華島に移して、3年間も徹底抗戦を試みたため、国土と国民はモンゴル人に蹂躙され、荒廃した。1239年にモンゴルは高麗王に入朝を命じたが、蒙古を野蛮人と見ていた高麗側はこれに応じなかった。1247年に再び蒙古軍が侵入した。この年から蒙古は継続して侵攻し、高麗は徹底的に抗戦するものの、1258年に北部の和州以北を奪われて双城総管府が置かれた。結局、翌1259年に崔氏政権は打倒され、高麗は蒙古に服属し、太子(王子)を人質として蒙古に差し出した。こうして30年近くに及ぶ高麗の抵抗は終わった。

一方南部では、1223年に初めて倭寇の名が登場し、倭寇などが沿岸を襲い始めていたようである(新羅末期から高麗にかけて、高麗人がたびたび日本を襲っていたことから、国の安定度が逆転したと言えるかもしれない)。

[編集] 蒙古への服属・元寇への参加

蒙古はこれまでの契丹や女真と異なり、露骨な内政干渉をしてきた。国内には多くの蒙古軍人が駐留し、反発感情が生まれた。1270年には「慈悲嶺」以北の広大な東寧路を奪われ、東寧府を置かれた(1290年返還)。同年、崔氏を倒した林氏政権が滅んで武臣政権は終焉するが、蒙古支配に納得しない人々が反乱し、三別抄の乱となった。反乱者たちは済州島に移って徹底抗戦したが、1273年に鎮圧された。乱の鎮圧と共に、クビライ日本を服属させようと試みたが交渉は失敗し、1274年1281年に二度の日本侵攻(元寇)を行った。このため高麗は前線基地として、兵站の補給と軍艦の建造を命令され、これらの協力と日本侵略失敗により多大な負担を強いられた。一方、高麗史には忠烈王が元に日本侵攻を働きかけたとの記述がある。忠烈王が自身の政治基盤強化のため、元軍を半島に留めさせ、その武力を後ろ盾とする目的であったと見られる。

親政を回復した忠烈王(在位1274年1308年)はクビライの娘忽都魯掲里迷失(クツルガイミシ)[1]と結婚してハーンの娘婿の待遇を受けるようになるが、同時に日本征討のために設けられた元の出先機関である征東行省(高麗王が長官となる)と高麗政府が一体化して、高麗は元の強い影響下に入ることとなった。また、元は国王一族を瀋陽王に封じて別の宮廷を建てさせて、事実上の高麗朝廷の分割を行ったため、国王の権威は大きく損なわれた。そのような中で忠烈王とモンゴル人の夫人の間に生まれた忠宣王(1308年~1318年)以降の高麗世子は禿魯花(ta-ru-Ha-Chi)として元の宮廷で育てられ、元の宮廷文化に染まり、その後宮政治に関与し、胡服辮髪の令(1278年)を出すなどして高麗土着の文化をかえりみず、高麗の内政にはあまり関与できなくなっていった。忠宣王は「益知礼普花」(イジリブカ)、忠粛王は「阿刺訥失里」(アラトトシリ)、忠恵王は「普塔失里」(ブダシリ)と、元風の名も持っていた。[2]

[編集] 滅亡への道

14世紀に大陸で紅巾の乱が起こって元が衰え始めると、恭愍王1351年 - 1374年)は1356年に元と断交し、双城総管府など北辺を奪還して蒙古侵入以前の高麗の領域を回復し、元の年号を止めて独立、さらに鴨緑江西方へ遠征し、これを制圧した。また、1350年頃から活発化した倭寇(前期倭寇)に高麗は苦しむことになる。1356年から1362年までの紅巾賊侵入に至っては都・開京が陥落したが、崔瑩・鄭世雲・李芳實・李成桂らが率いる高麗軍は10万人にも及ぶ紅巾軍を撃退し開京の奪回に成功する。1359年には、李承慶・李芳實が西京(平壌)で、1361年には李成桂・鄭世雲が黄州で、紅巾軍に大勝した。倭寇についても、崔瑩・李成桂・羅世・鄭地・朴ウィらの有力武将は、次第に倭寇に打撃を与えて行き、1376年には崔瑩が鴻山で、1380年には、李成桂が荒山、崔茂宣・羅世が鎮浦で、1383年には鄭地らが南海島観音浦で、大勝利を収め、1389年の朴ウィによる対馬攻撃を境に、倭寇の回数は激減する。1368年が中国に興り、元を北に追いやる(北元)と、1370年に高麗は明へ朝貢して冊封を受けたが、国内では親明派と親元派の抗争が起こった。この間に倭寇や元との戦いで功績をあげ、台頭していた武人李成桂は、1388年クーデターを起こして政権を掌握し、1389年恭譲王を擁立すると、親明派官僚の支持を受けて体制を固め、1392年に恭譲王を廃して自ら国王に即位し、李氏朝鮮王朝を興す。ここに高麗は374年で滅びた。

[編集] 社会・経済

高麗では貿易が栄え、特に開京から近い礼成江河口にある港・碧瀾渡は貿易港として繁栄した。

[編集] 思想・文化

高麗は儒教を国是とし、徳治主義な政治が行われる。儒学校も開かれ、九斎学堂などの私塾が開設された。後期には朱子学も輸入される。

思想では、仏教の功徳思想に陰陽五行説が加わった風水地理説が政治的にも影響力を持ち、政界を二分する。

新羅仏教を継承した高麗仏教が信仰され、国王や貴族などに庇護された。特に開京には寺院がたくさん建立されたし、仏教行事である「燃燈会」と「八関会」を盛大に開催した。また国師と王師があったし仏教の権威が象徴的でも王権よりもっと大きい権威を持つようになって仏教が国教としての権威を持っていた。寺院は広大な土地を所有したしたちは兔役を含んだ各種恵沢を受けた。

仏教文化では『大蔵経』、『続大蔵』などが刊行される。『三国史記』などの史書も編纂される。美術では高麗青磁などが作られた。高麗の科学技術を代表することは天文学、医学、印刷術、製紙術、造船技術、火砲製法などだった。

[編集] 中国王朝説

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 後の荘穆王后(國大長公主)舊妃は始安公娘 貞和宮主と淑昌院妃であるが、荘穆王后との婚姻後には王は舊妃に近寄らなくなったという。(高麗史)
  2. ^ 多くのWEB情報では、高麗が元の属国なので改名したとあるが、育ちが元の宮廷でなので改名ではなく2つの名前を持っているのが正しい。
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