駱賓王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
駱賓王(らくひんおう,640年? - 684年?)は唐代中国の詩人。「初唐の四傑」の一人。
[編集] 略伝
婺州義烏(浙江省)の出身。初めから落魄し、好んで博徒と交わり、性格は傲慢・剛直。高宗の末年に長安主簿となり、ついで武后の時に数々の上疏をしたが浙江の臨海丞に左遷される。出世の望みを失い、官職を棄てて去った。684年に李敬業が兵を起こすと、その府属となり敬業のために檄文を起草して武后を誹謗、その罪を天下に伝えた。武后はその檄を手に入れて読ませ「蛾眉敢えて人に譲らず 孤眉偏に能く主を惑わす」のあたりでは笑っていたが「一杯土未乾、六尺孤安在」の句にいたり愕然としてその作者の名を問い、駱賓王であることを知ると「このような才ある者を流落不遇にしたのは宰相の過ちである」と言ったという。敬業の乱が平定された後には、亡命して行方が知れなくなった(一説には誅殺されたとも)。銭塘の霊隠寺に住んでいたという伝説もあり、霊隠寺と題する詩もある。
[編集] 詩文
7歳から良く詩を賦し、成長してからは五言律詩にその妙を得た。ことにその「帝京篇」は古今の絶唱とされる。好んで数字を用いて対句をつくるので「算博士」の俗称がある。武后は駱賓王の文を重んじ、詔してその文章の数百編を集めて郄雲卿に命じ編纂させたのが、『駱丞集』4巻である(『新唐書』『旧唐書』ともに10巻とある)。それに頌・賦・五七言古・五律・排律・絶句・七言絶句・啓・書・叙・雑著の11項目に分かれて、作品が収められている。
[編集] 参考
- 『新唐書』201文藝
- 『旧唐書』190上文苑
- 『唐才子伝』1
- 『欽定四庫全書総目』146集部
- 小杉放庵『唐詩及唐詩人』
易水送別 | |
此地別燕丹 | 此の地燕丹に別る |
壯士髮衝冠 | 壮士の髪 冠を衝く |
昔時人已沒 | 昔時 人已に没し |
今日水猶寒 | 今日 水猶寒し |