霍弋
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霍弋(かくよく、207年? - 271年?)は、三国時代の蜀の武将。霍峻の子、霍彪の祖父。字は紹先。
諸葛亮にその才能を認められ、若い頃は諸葛亮の養子・諸葛喬と共に見聞を広めるために旅をした。諸葛亮の死後、黄門侍郎となり、劉禅の皇太子劉璿の補佐役に当たった。その後、永昌郡の太守や建寧郡の太守などの地方官を歴任し、蜀が滅亡したときは魏に降伏した。このとき、霍弋は蜀への忠義をなおも貫こうと考え、降伏をためらったという。
降伏後は司馬昭にもその才能を認められて信任を受け、264年、交州で魏と呉との間に緊張が起きたとき南中都督に任じられ、南蛮の地の平定に尽力した。