費耀
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費耀(ひよう、?-?)は、中国三国時代の魏の将。費曜、費瑶と同一人物であると思われる。
蘇則らとともに、反乱を起こした張進を破り、張進を斬った。 221年、反乱を起こした盧水胡の伊健妓妾、治元多を張既とともに討伐し大勝した。228年、張郃とともに蜀漢軍の先鋒隊を破った。同年、蜀漢に攻められた陳倉に援軍に赴いた。後将軍に任命されている。
[編集] 三国志演義
ある日、蜀将、姜維の腹心と名乗るものが魏陣を訪れ、姜維からだと言って手紙を渡した。その内容は、「もしも帰参が許されるならば、蜀軍の食料庫を焼き払う所存だ」というもので、曹真はこれを大いに喜び、姜維の帰参を許すと伝えさせたが、費耀は諸葛亮の策略では、と疑った。しかし曹真も譲らず、結局費耀が兵を率いて姜維に出会うことにして、曹真は本陣に留まることにした。
初めのうちは、姜維の話どうり順調に事が進んでいたが、費耀が異変に気づいた時にはすでに時遅く、退路を絶たれ、戦いの大勢は決したが、降伏を拒み自決した。
結局、五万の魏兵のうち三万以上が討ち死に、生き残った残りの兵も皆、蜀に降った。