綽如
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綽如 | |
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観応元年3月15日 - 明徳4年4月24日(旧暦) 1350年4月30日 - 1393年6月12日(新暦)[1] |
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幼名 | 光徳丸(光徳麿) |
名 | 尭雲 |
号 | 周圓上人 |
諱 | 時藝 |
尊称 | 綽如上人 |
没地 | 井波(現:富山県南砺市井波) |
宗旨 | 浄土真宗 |
宗派 | (後の本願寺系諸派) |
寺院 | 瑞泉寺 |
綽如(しゃくにょ)は、南北朝時代の浄土真宗の僧。父は善如。権大納言日野時光の猶子となる。本願寺第五世。
得度した後、権大僧都に任じられた。1390年に宗務を継いだが、まもなくその職を法嗣である巧如に譲り、越中国杉谷に隠遁した。朝廷に献じられた異国の書を度々読み、後小松天皇にその才を認められて周圓上人の号を賜った。宮中で無量寿経を講じ、聖徳太子の肖像とその伝絵8巻を賜っている。住寺を越中国井波に移し、瑞泉寺の勅号を賜った。
[編集] 脚注欄
- ^ グレゴリオ暦換算。本願寺派では、グレゴリオ暦に換算した生没年を用いる。
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