竹村豪氏
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竹村 豪氏 | |
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プロフィール | |
リングネーム | 竹村 豪氏 TAKEMURA |
本名 | 竹村 克司 |
身長 | 178cm |
体重 | 99kg |
誕生日 | 1972年8月21日(35歳) |
出身地 | 京都府城陽市 |
所属 | 東京愚連隊 |
スポーツ歴 | バレーボール バスケットボール ボディビル |
トレーナー | 藤波辰爾 |
デビュー | 1997年7月22日 |
竹村 豪氏(たけむら かつし、1972年8月21日 - )は、日本の男子プロレスラー。本名:竹村 克司(読みは同じ)。京都府城陽市出身。東京愚連隊所属。
目次 |
[編集] 来歴
学生時代はバレーボール、バスケットボール、ボディビルなどを行っていた。
藤波辰爾主宰の無我出身で、プロレスデビューは1997年7月22日の無我博多興行での対アレクサンダー大塚戦である。デビュー後は格闘探偵団バトラーツ、レッスル夢ファクトリーのリングへ上がりつつメキシコのEMLLへ参戦した。
2001年2月に新日本プロレスに入団。新日本プロレスではジュニアヘビー級のレスラーとして、ジュニア戦線に関わった。新日本プロレス所属中も2002年4月から途中1ヶ月の一時帰国を挟んで2003年8月まで長期メキシコ遠征を経験している。メキシコでは西村修とのタッグや、NOSAWA、MAZADAとの「東京愚連隊」として活動した。
2003年8月の新日復帰以降は、邪道、外道と組んで行動した。2004年7月3日からはC.T.Uの一員となって活動、9月9日の闘龍門Xの興行ではUWA世界6人タッグ王座を獲得している。12月12日西村の度重なる説得によりC.T.Uを脱退、本隊に復帰した。2006年1月28日、新日本プロレスを退団。
2004年7月4日全日本プロレス初参戦でNOSAWA、MAZADAと合流し、オリジナルの東京愚連隊を復活させ、その勢いで7月18日カズ・ハヤシが保持していた世界ジュニア王座に挑戦。王座獲得はならなかったが、2004年末まで全日マットにスポット参戦した。
2006年2月にZERO1-MAXへ数試合ほど参戦し、東京愚連隊として暴れる。その後は妻子を妻の実家へ戻らせ、西村と共に海外遠征へと出発。当初はタンパでの住居移転を考えたようだが、愚連隊として活動していたメキシコで家族を連れての住居移転を目指している。5月21日全日本プロレスに約1年半ぶりに参戦、8月2日には無我ワールド・プロレスリングプレ旗揚げ戦に参加。8月20日ビッグマウス・ラウド後楽園ホール大会では緑のペイントを施したザ・グレート・タケとして藤原喜明と対戦した。8月29日に無我ワールド・プロレスリング旗揚げシリーズ参戦を前に、正式な所属選手になった。
2007年12月、無我を退団。2008年1月、無我を退団した西村修を追って全日本に乱入し東京愚連隊に復帰。後に法人化を発表した東京愚連隊・所属レスラーTAKEMURAとなる。
08年1月以降全日本に西村との一騎打ちを要求していたが、4月20日の後楽園大会で西村とのシングルマッチが決定した。
[編集] 獲得タイトル歴
- UWA世界6人タッグ王座
- パートナーは邪道&外道。
- IWRG6人タッグ王座
- パートナーはNOSAWA&MAZADA。
[編集] 得意技
- ドラゴンスリーパー
- ハーフアームスープレックス
- 相手の片腕をクラッチして投げていく変形のハーフネルソンスープレックス。
- M9
- 無我クラッチ
- 外道クラッチと同型。