王威
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[編集] 正史の事跡
姓名 | 王威 |
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読み・ピンイン | おうい〔Wáng Wēi〕 |
時代 | 後漢時代 |
生没年 | 〔不詳〕 |
字・別号 | 〔不詳〕 |
本貫・出身地等 | 〔不詳〕 |
職官 | 〔不詳〕 |
爵位・号等 | - |
陣営・所属等 | 劉琮 |
家族・一族 | 〔不詳〕 |
荊州の諸侯劉表の次男劉琮に仕えていた。曹操が大軍を率いて侵攻して来ると、劉琮は戦わずして降伏し、劉備も逃走した。このとき、王威は「曹操は我が軍を下し劉備も退けたため安心して備えを緩めているに違いないから、自分に兵数千を預けていただければ曹操を捕虜にしてみせる。曹操を捕らえれば天下も夢ではない」と劉琮に申し出たが、容れられることは無かった。その後の王威の行方は不明である。
[編集] 物語中の王威
『三国演義』では、劉表の部将として登場。劉備暗殺を謀る蔡瑁の指示で、同僚の文聘と共に、劉備の傍らから趙雲を引き離す役を担った。曹操が荊州に入ると、青州へ転任させられた劉琮とその母・蔡夫人の護衛となるが、曹操の命を受けた于禁に襲撃されて劉琮共々皆殺しにされた。ただし、この事件は『演義』のフィクションである。