永井直期
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時代 | 江戸時代中期 | |||
生誕 | 元禄16年3月3日(1703年4月18日) | |||
死没 | 明和2年4月22日(1765年6月10日) | |||
別名 | 文九郎(幼名) | |||
戒名 | 菊隠宗芳三径院 | |||
墓所 | 東京都品川区北品川の東海寺清光院 | |||
官位 | 従五位下、飛騨守 | |||
藩 | 摂津高槻藩主 | |||
氏族 | 永井氏 | |||
父母 | 父:永井直圓、母:松平忠継の娘 養父:永井直英 |
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兄弟 | 永井直達、永井直亮、政之丞、千次郎、 永井直期、永井直度、永井直教、永井直次、 増山正邑、妻木頼紀 |
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妻 | 正室:南部信恩の娘 | |||
子 | 5男6女:永井直行(長男)、永井直養(次男) 永井直珍(三男)、牧野成融(四男) 安藤寛長(五男)、娘(阿野公蠅室) 娘(保科正富正室)、娘(飛鳥井雅重室) 娘(水野忠興正室)、娘(永井直温正室) 娘(伊沢方守正室)) |
元禄16年(1703年)3月3日、大和新庄藩主・永井直円の五男として生まれる。正徳5年(1715年)、永井直英の死去により養子として後を継いだ。藩政では藩財政再建のため、百姓に重い年貢を課したという。延享5年(1748年)1月16日、長男の直行に家督を譲って隠居し、明和2年(1765年)4月22日に死去。享年63。
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