歩度根
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
歩度根(ほどこん、生年不詳 - 233年)は、後漢末魏初の鮮卑族の大人(単于)。檀石槐の孫、魁頭、扶羅韓の弟。
[編集] 生涯
建安12年(207年)曹操は柳城に遠征して烏丸の蹋頓単于らを斬って幽州を平定すると、歩度根・軻比能たちは烏丸校尉閻柔を通じて朝貢し、献上品をおくった。やがて軻比能は扶羅韓を殺し、その子泄歸泥とその配下を手中に収め、歩度根と仇敵の間柄となった。
黄初元年(220年)文帝が即位すると馬を献上して鮮卑王の称号を授かった。青龍元年(233年)明帝のとき、軻比能は長年敵対関係にあった歩度根と和親の約束を結び、幷州の支配を脱して自分のところに来るように誘った。幷州刺史畢軌は武将の蘇尚・董弼を派遣し、歩度根を迎えに出た軻比能の軍を襲わせた。しかし歩度根の子が迎撃、蘇尚・董弼の首を奪った。その後魏と戦ったが、敗走し、歩度根は軻比能に殺害された(魏書・明帝紀)。