楊秋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
楊秋(ようしゅう、生没年不詳)は、後漢末期の武将。
馬超と曹操が敵対したときにともに蜂起した軍閥の一人として名前が見える。 のち曹操の追討軍に降伏し、列侯に封ぜられている。降伏時、曹操と対面したとき、「最初から帰順するつもりであったため、(遠方の)涼州まで逃亡せず、安定で降伏した。」と告げると、曹操に「帰順するつもりであったのなら何故逃亡した?」と詰問され、これに対し、「つきあいで」と返答したため、曹操は大笑して帰順を認めたとする逸話が残る。
三国志演義では、韓遂の「手下八部」の武将の一人として登場し、馬超と韓遂が仲たがいしたさいには韓遂の降参の使者として曹操の下に参じ、列侯に取り立てられている。
なお、演義で登場する「手下八部」(他の7名は侯選、張横、程銀、成宜、李堪、馬玩、梁興)は、史書にその名が登場する涼州の独立した軍閥の武将である。