東大ポポロ事件
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最高裁判所判例 | |||
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1963年(昭和38年)5月22日 | |||
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裁判要旨 | |||
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大法廷 | |||
裁判長:横田喜三郎 陪席裁判官:河村又介 入江俊郎 池田克 垂水克己 河村大助 下飯坂潤夫 奥野健一 石坂修一 山田作之助 五鬼上堅磐 横田正俊 斎藤朔郎 |
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意見 | |||
多数意見:横田喜三郎 河村又介 入江俊郎 池田克 垂水克己 河村大助 下飯坂潤夫 奥野健一 石坂修一 山田作之助 五鬼上堅磐 斎藤朔郎 意見:横田正俊 反対意見:なし |
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参照法条 | |||
憲法23条 |
東大ポポロ事件(とうだいぽぽろじけん)とは、日本において大学の自治に関する最高裁判所判例をもたらした事件であり、東京大学の公認学生団体「ポポロ劇団」が演劇発表会を行なった際に、学生が会場にいた私服警官に暴行を加えた事件。日本国憲法第23条に保障する学問の自由及びそこに含まれる大学の自治が問題となった。
目次 |
[編集] 概要
ポポロ劇団は昭和27年2月20日、東京大学本郷キャンパス法文経25番教室で松川事件をテーマとした演劇『何時(いつ)の日にか』の上演を行なった。これは大学の許可を得たものであった。上演中に、観客の中に本富士警察署の私服警官4名がいるのを発見し、3名の身柄を拘束して警察手帳を奪い、謝罪文を書かせた。その際に被告人が暴行を加えたとして、暴力行為等処罰ニ関スル法律により起訴された。
一審は、学生の行為が大学の自治を守るためのものであるゆえに正当であるとし、学生を無罪とした(東京地方裁判所昭和29年5月11日判決)。二審(東京高等裁判所昭和31年5月8日)も一審を支持したため、検察が上告。
[編集] 最高裁判所判決
最高裁判所昭和38年5月22日大法廷判決は、原審を破棄し、審理を東京地方裁判所に差戻した。
「大学の学問の自由と自治は、大学が学術の中心として深く真理を探求し、専門の学芸を教授研究することを本質とすることに基づくから、直接には教授その他の研究者の研究、その結果の発表、研究結果の教授の自由とこれらを保障するための自治とを意味すると解される。大学の施設と学生は、これらの自由と自治の効果として、施設が大学当局によつて自治的に管理され、学生も学問の自由と施設の利用を認められるのである」
しかし、「本件集会は、真に学問的な研究と発表のためのものでなく、実社会の政治的社会的活動であり、かつ公開の集会またはこれに準じるものであつて、大学の学問の自由と自治は、これを享有しないといわなければならない。したがって、本件の集会に警察官が立ち入つたことは、大学の学問の自由と自治を犯すものではない」
なお、本判決には裁判官入江俊郎・奥野健一・山田作之助・斎藤朔郎の4名による共同補足意見、裁判官垂水克己の補足意見、裁判官石坂修一の補足意見、および裁判官横田正俊の意見がある。
[編集] 論点
[編集] その他
差し戻し後、被告人は第一審で有罪とされ(東京地方裁判所昭和40年6月26日判決)、控訴・上告も棄却された(東京高等裁判所昭和41年9月14日判決、最高裁判所昭和48年3月22日判決)。
[編集] 判例評釈
- 佐藤司「学問の自由と大学の自治─ポポロ事件」芦部信喜・高橋和之・長谷部恭男編『憲法判例百選I 第4版』184頁(有斐閣、2000年)