李徳明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
李徳明(り とくめい、981年 - 1031年)は、中国の西夏王朝の基礎を築いた人物。字は阿移。
1004年に父である李継遷の戦死により夏王の地位を継承する。その治世での最大の特色は宋及び遼に両属した外交姿勢であり、宋・遼に対し臣下を称し冊封を受け、外交的な安定のもと西域経営を積極的に進めた。
西域では吐蕃及び回鶻を攻撃、西涼府(現在の甘肅省武威市)、甘州(甘肅省張掖)、瓜州(甘肅省安西)、沙州(甘肅敦煌)等を支配下に置き、その勢力範囲は玉門関から河西回廊に及んだ。また外交的な安定は国内の農業を大いに発展させた。
1020年、都城を西平府より懐遠鎮に遷し、興州と改名、その後西夏の国都として栄える興慶府(現在の寧夏銀川市)の基礎を築いた。
1028年に長子李元昊を立太子、1031年に病死している。李継遷の業績をさらに発展させ、西夏の実質的な建国を行った。
|
|