徐バク
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徐邈(じょばく、171年-248年)は、三国時代の魏の武将。字は景山。徐武の父。
燕国の人。三国志演義には記述が無い人物である。政治力に優れていたことを曹操に見出され、その家臣となった。魏王朝が成立すると、尚書郎となった。その後、各地の地方官を歴任して辣腕を発揮したため、その噂を聞いた曹叡から涼州刺史に任じられた。蜀の諸葛亮が北伐を開始したとき、涼州の異民族がそれに呼応して反乱を起こしたこともあったが、徐邈によってそれは全て鎮圧されている。
その後、涼州の統治に多大な功績を挙げたとして司隷校尉、そして三公の一つである司空にまで推挙されたが、徐邈は司空になることを固く拒絶し、最終的には大夫の身分で、78歳で世を去った。
無類の酒好きで、曹操が禁酒令を出したとき、それに背いてまで酒を飲み、酔いつぶれたことがある。怒った曹操は、徐邈を処刑しようとしたが、鮮于輔が徐邈を弁護したため、許したという。徐邈は、酒好きではあったが、人柄は温厚篤実で、人望が厚かったのである。