張悌
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張悌(ちょうてい、?-279年)は、三国時代の呉の武将。字は巨先。
荊州襄陽郡の人。若くして才智に長け、本人の言によれば幼少の頃に諸葛亮に抜擢されたという。孫休の時代には校尉となった。孫皓の時代には軍師となり、279年には呉の最後の丞相に昇進した。その直後、晋の呉侵攻が始まった。
張悌は最初から負けるとわかっていたが、それでも呉の丞相として最後の意地を見せ、怒涛の勢いで侵攻してくる晋軍に果敢に突入し、乱戦の中で晋の武将・王渾に斬られた。このとき、諸葛靚が逃亡しようと進言したが、張悌はそれを受け入れず、最後まで呉に忠義を尽くしたのである。
なお、 張悌の死に様を夢で見て、彼を慕っていた者が激昂のあまり生き返ったという逸話が残っている。