安慶緒
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政権 | 燕 |
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廟号 | (なし) |
諡号 | (なし) |
姓・諱 | 安慶緒 |
生没年 | 生年不詳 - 759年 |
在位期間 | 757年 - 759年 |
父 | 安禄山 |
母 | |
陵墓 | |
元号 | 載初:757年 天成:757年 - 759年 |
安慶緒(あんけいしょ、? - 759年)は、燕の皇帝(在位:757年 - 759年)。
安禄山(聖武皇帝)の皇太子であったが、父帝が洛陽で病を患い、視力を失って人間不信に陥り、奢侈にもふけるようになってから孝を失った。父帝が慶緒の廃嫡にまで言及し始めたので、757年1月、唐軍とのにらみ合いが続く中で側近とともに父帝を殺害し、帝位を簒奪。しかし人望のない慶緒に、家臣の忠誠を繋ぎとめる事はもはや出来なかった。
757年10月、唐の粛宗と回鶻の郭子儀との連合軍に長安と洛陽を奪われ、黄河を渡り逃亡する。759年、自身もまた史思明に殺害された。
史思明は安慶緒の軍勢を引継ぎ范陽へ移動し、大燕皇帝を称するようになる。
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