孫翊
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孫翊(そんよく、Sun Yi 184年-204年)は、後漢末期の人、孫堅の三男。孫策、孫権の弟。字は叔弼。孫松の父。
孫策に似て武勇に優れ、剛毅果断であったため、孫策の死後、一部の重臣から後継ぎにまで目されたが、結局、次兄の孫権が後を継ぐこととなった。203年、丹陽の太守に任じられた。翌年、元盛憲配下の媯覽と戴員は孫翊に重用されたが、孫翊は二人が辺洪と親交を結んだことを叱責したため、媯覽・戴員と辺洪は手を組み、彼らによって暗殺された。武勇に優れていたことをいいことに傲慢な振る舞いが多く、酒に酔うと粗暴な振る舞いが多かったため、それを恨まれていたために殺されたのである。
死後、妻の徐氏が下手人の辺洪に賞金首を掛けた。辺洪が捕らえられると、媯覽と戴員は辺洪に罪をかぶせて殺した。周囲は媯覽と戴員が辺洪と共謀していたことを知っていたが、咎める力はなかった。ところが、孫翊とそれほど親密ではなかった孫河が二人を叱責したので、媯覽と戴員は後難を恐れ孫河を殺し、曹操配下の揚州刺史・劉馥に内応の使者を送った。しかし、計画が実行される前に、徐氏と元孫翊配下の徐元・孫高・傅嬰らによって二人は殺された。