原田熊吉
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原田 熊吉(はらだ くまきち、1888年8月8日 - 1947年5月28日)は、大日本帝国陸軍軍人、陸軍中将。香川県生まれ、大阪府出身。陸士22期、陸大28期。
日中戦争開戦後、第35師団長、第27師団長として中国大陸に駐屯した。その後第16軍司令官としてジャワ占領後の軍政を担当、ジャワの住民指導者に政治参加許可を通知し、司令官告示で「軍政協力団・ジャワ奉公会」を結成する。大戦末期の昭和20年の早春、ジャワから日本本土に召還され、第55軍司令官次いで四国軍管区司令官を兼ね本土決戦準備を指揮した。戦後戦犯に指名され、シンガポールのチャンギーで絞首刑。享年59。
[編集] 年譜
- 1910年(明治43年)5月 陸軍士官学校卒業
- 1916年(大正5年)11月 陸軍大学校卒業
- 1920年(大正9年)4月 陸軍歩兵大尉
- 1920年(大正9年)11月 参謀本部附(支那駐在)
- 1933年(昭和8年)8月1日 陸軍歩兵大佐
- 1935年(昭和10年)8月1日 近衛歩兵第4連隊長
- 1937年(昭和12年)8月13日 支那大使館附武官
- 1938年(昭和13年)2月18日 中支那派遣軍特務部長
- 1939年(昭和14年)10月2日 陸軍中将
- 1940年(昭和15年)5月25日 第35師団長
- 1942年(昭和17年)3月2日 第27師団長
- 1942年(昭和17年)11月9日 第16軍司令官
- 1945年(昭和20年)4月7日 第55軍司令官
- 1945年(昭和20年)6月15日 兼四国軍管区司令官
- 1947年(昭和22年)5月28日 チャンギーで絞首刑・享年59