伏完
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伏完(ふくかん、146年?-209年)は、中国・後漢最後の皇帝・献帝の皇后であった伏寿(伏皇后)の父。大司農伏質の子、妻は桓帝の娘である陽安公主劉華、伏徳・伏典の父。後漢の不其侯・侍中。
所謂済南の伏生伏勝の子孫、伏勝の八世太傅伏理、伏理の子大司徒陽都侯伏湛、伏湛の四世伏晨の曾孫、侍中・屯騎校尉伏無忌の孫にあたるという名門の出であり、皇帝の娘婿として名声が高く、荀彧と親しい仲にあったと言われている。
『三国志演義』によれば、215年に献帝がかつて200年に曹操に対してクーデターを起こして失敗し、捕らえられて処刑された董承の恨みを晴らそうと、伏皇后と共謀して曹操打倒の策を練っていた。そのとき、皇后は父の伏完に対して書状のやり取りをして連絡をとっていたが、その書状が曹操の手に渡ってしまう。
このため、曹操の手によって伏完と伏皇后、そしてその一族は謀反を企んだとしてすべて処刑されてしまったとされている。
ただし正史である『後漢書』献帝伏皇后紀によれば、伏皇后が父の伏完に対して書状を送ったのは董承の死の直後の事であり、発覚した215年には既に伏完は病死していた。そのため、彼の遺族のほとんどが処刑されたという(一部流刑となったものもいた)。