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ヴォルフガング・サヴァリッシュ(Wolfgang Sawallisch,1923年8月26日 - )はドイツ、バイエルン州ミュンヘン生まれのドイツ・オーストリア音楽を代表する指揮者の一人。名ピアニストでもある。現在NHKでは、ヴォルフガング ではなく ウォルフガング と表記している。(通常標準ドイツ語では”ヴォルフガング・ザヴァリッシュ”と発音するがNHKではサヴァリッシュの出身地、ミュンヘン方言で表記している)
[編集] 概要
幼少期からピアノ、音楽理論、作曲を相次いで学ぶ。指揮も、現代音楽の指揮で名高いハンス・ロスバウトに師事する。第二次世界大戦での兵役を経て、1947年にアウクスブルク市立歌劇場でフンパーディンク作曲のオペラ「ヘンゼルとグレーテル」でデビュー。この指揮が高く評価され、第一指揮者に抜擢される。ついで1949年にはピアノ奏者としてヴァイオリニストのゲルハルト・ザイツと共演し、ジュネーヴ国際音楽コンクールの二重奏部門で1位なしの2位となる。以後指揮者とピアニスト(主にリートの伴奏者として活躍)を並立させる。1953年にはアーヘン、1958年にヴィースバーデン、1960年にケルンのそれぞれの市立歌劇場の音楽総監督に就任する。その間の1957年にはロンドンデビュー(エリーザベト・シュヴァルツコップの伴奏者&フィルハーモニア管弦楽団の指揮)と、バイロイト音楽祭初出演を果たす。33歳でのバイロイトへの出演は当時の最年少記録(1960年にロリン・マゼールが30歳で初出演し、現在はこれが最年少記録)だった。歌劇場での活躍の一方でオーケストラの音楽監督でも活躍し、ウィーン交響楽団やハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団、スイス・ロマンド管弦楽団の首席指揮者を歴任。スイス・ロマンド管弦楽団では創設者エルネスト・アンセルメ亡き後のオーケストラの再構築に尽力した(この再構築を評価する者と、「アンセルメの響きが失われた」として評価しない者が二分している)。1971年からはバイエルン国立歌劇場の音楽監督(1982年~1992年は音楽総監督)に就任。若手の逸材歌手を積極的に登用し、出演者の相対的な若返りに成功した。1988年にはリヒャルト・シュトラウスのすべてのオペラを上演して話題を呼んだ。バイエルンのポストを退任後、リッカルド・ムーティの後任としてフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督に就任。この頃のアメリカはドイツ系指揮者を主要ポストに招聘して「音清め」をよく行っていたが、フィラデルフィアもそういう意図の下にサヴァリッシュを招聘したと言われている(他にニューヨーク・フィルハーモニックがクルト・マズアを招聘して「音清め」を行っている)。フィラデルフィアのポストを退任した後は特定のポストには就かずフリーの指揮者となっていたが、2006年3月に、5月以降に予定していたフィラデルフィアやローマなどでのコンサートを心臓病の悪化を理由にキャンセルし、現役からの引退を事実上表明した。 ミラノスカラ座からトスカニーニバトン、ベルリンフィルからニキシュメダル、ウイーン交響楽団からブルックナーメダルを贈られている。
[編集] サヴァリッシュと日本
1964年11月、NHK交響楽団の招聘で初来日以来ほぼ毎年のように来日。以降N響への客演のほか、バイエルン国立歌劇場(1974年、1988年。1974年はカルロス・クライバーらが同行)やフィラデルフィア管弦楽団(1993年、1999年)との来日公演を行い、日本でもなじみ深い巨匠の一人である。1967年以来N響名誉指揮者。現在は、同楽団桂冠名誉指揮者(1994年~)。N響とは定期公演のほか海外公演や二期会と組んだオペラ上演などでも大いに活躍。また、N響の節目節目の演奏会には必ず登場し、1970年のベートーヴェン生誕200年チクルスや1973年のNHKホールこけら落し公演、1986年10月1日の第1000回定期公演と2001年の創立75周年記念公演(ともにメンデルスゾーンのオラトリオ「エリヤ」)などに出演している。2004年の出演では、老齢のため椅子に軽く座って指揮をしていた。2005年に予定されていた公演は体調が思わしくなく出演をキャンセルしており、結果的に2004年度の出演が最後の共演となった。
サヴァリッシュは「日本の他のオーケストラとは共演したくない」と言うほどN響に惚れ込み、N響もまたサヴァリッシュに惚れ込んだゆえに長い蜜月の関係となったが、N響の楽員がサヴァリッシュに惚れ込んだ理由としては、「リハーサルが非常に短く合理的」というものであった。これは、ヨーゼフ・ローゼンシュトックやヴィルヘルム・シュヒターら先達のN響常任指揮者が、締め上げるようなリハーサルをしていた反動ではないかと言われている(とはいえ、サヴァリッシュのリハーサルも結構厳しいとも言われている)。なお、日本では勲三等旭日中綬章を受章している。また日本リヒャルト・シュトラウス協会名誉総裁を勤める。
引退後の2006年7月にNHKのインタビューを受けており、一部が2007年2月12日放送のN響創立80周年記念番組に使われた。
[編集] 演奏スタイル・レパートリー
演奏スタイルは奇をてらったところがなく「外れ」が少ない指揮ぶりであり、若い頃は楷書体のようなシャープな演奏を繰り広げ、加齢とともにいい感じでの「重み」がプラスされるようになった。さすがに近年の演奏では当たり外れの差が大きくなった云々の指摘も多くなってきているが、それでも絶望的に崩れ去るような演奏は昔も今も極めて少ない。
レパートリーとしては、古典派・ロマン派から近代までのドイツ音楽の正統派・王道とも言うべき曲目がずらりと並ぶ。モーツァルトやベートーヴェン、ワーグナーでも素晴らしい演奏を繰り広げているが、それ以上にシューベルトやメンデルスゾーン、シューマン、R・シュトラウスなどロマン派の色濃い作品の演奏には定評がある。特にメンデルスゾーンは管弦楽作品全曲を校訂するほど熱心に取り上げている。シューマンの演奏においては、マーラー以来行われていた交響曲の改訂に異を唱え原典を尊重する演奏をする。
[編集] 歴任ポスト
- アーヘン歌劇場音楽監督(1953 - 1958)
- ヴィースバーデン歌劇場音楽監督(1958 - 1960)
- ケルン市立歌劇場音楽総監督(1960 - 1963)
- ウィーン交響楽団首席指揮者(1960 - 1970)
- スイス・ロマンド管弦楽団首席指揮者(1970 - 1978)
- バイエルン国立歌劇場音楽監督(1971 - 1992)
- フィラデルフィア管弦楽団音楽監督(1993 - 2002)
[編集] 著作
[編集] 参考文献
- NHK交響楽団『NHK交響楽団40年史』日本放送出版協会、1967年。
- NHK交響楽団『NHK交響楽団50年史』日本放送出版協会、1977年。
- 岩野裕一「NHK交響楽団全演奏会記録2・焼け跡の日比谷公会堂から新NHKホールまで」『Philharmony 2000/2001SPECIAL ISSULE』NHK交響楽団、2001年。
- 岩野裕一「NHK交響楽団全演奏会記録3・繁栄の中の混沌を経て新時代へ-"世界のN響"への飛躍をめざして」『Philharmony 2001/2002SPECIAL ISSULE』NHK交響楽団、2002年。
[編集] 外部リンク
- 先代:
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- アーヘン歌劇場
音楽総監督
- 1953 - 1960
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- 次代:
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- 先代:
- ?
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- ヴィースバーデン歌劇場
音楽監督
- 1958 - 1960
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- 次代:
- ?
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