ヴァルター・シェレンベルク
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ヴァルター・フリードリヒ・シェレンベルク(Walther Friedrich Schellenberg, 1910年1月16日 - 1952年3月31日)は、ナチス・ドイツの親衛隊少将兼警察少将。
[編集] 人物
シェレンベルクはフランス国境に近いザールラント州ザールブリュッケンに生まれる。第一次世界大戦後にフランスがザールラント州を占領した1918年に彼の一家はルクセンブルクへ出国した。
シェレンベルクはドイツに戻り、医学を志し1929年にマールブルク大学に入学、その後ボン大学に移り、法律を学んだ。大学卒業後は教官の薦めで1933年5月にナチ党に入党。親衛隊に加わり、 親衛隊情報部のラインハルト・ハイドリヒの下に敵性分子に対する諜報活動を行った。また国防軍情報部(Abwehr)のヴィルヘルム・カナリスとも知己となる。ポーランド戦開戦直後の1939年9月にドイツ国境に近いオランダの町で活動中の英国人情報将校を誘拐する。後にこの事件をオランダが中立国であるにもかかわらず、英国軍人にスパイ活動の便宜を供したとしてオランダ侵攻の口実とした。こうしてヒトラーの知るところとなり、急速に出世する。1942年には国家保安本部の第VI局(SD-Ausland 国外諜報)の局長に任じられる。彼は駐ストックホルム日本公使館付武官の小野寺信陸軍中将とも接触していた。
大戦末期シェレンベルクは、ハインリヒ・ヒムラーの補佐官としてフォルケ・ベルナドット伯爵を通じて連合軍と和平交渉をするようにヒムラーを説得し、秘密裏に会合を持つが失敗する。シェレンベルクは1945年6月にデンマークで連合軍に逮捕された。
ニュルンベルク裁判では他の被告に不利な証言を行い、1949年に6年の禁固刑を宣告される。刑務所で彼は回想録「The Labyrinth」を執筆する。彼は服役中に肝臓を患い、1951年に釈放される。釈放後はスイス、続いてイタリアで生活した。
シェレンベルクはイタリアのトリノで癌のため1952年に死去した。
[編集] 文献
- ヴァルター・シェレンベルク『秘密機関長の手記(原題:The Labyrinth)』角川書店、1960年
- 小野寺百合子『バルト海のほとりにて』共同通信社、1985年、ISBN 4-7641-0178-5
[編集] 登場作品
- 『ウィンザー公掠奪』:ハリー・パタースン(ジャック・ヒギンズの別名義)作。シェレンベルクが主人公の戦争冒険小説。映画化もされた(日本未公開)。実在したとされるウィンザー公誘拐計画(英国占領後の統治に利用する目的でヒトラーがシェレンベルクに命じて退位した同公を誘拐しようとした)が描かれている。
- 『鷲は飛び立った』:ジャック・ヒギンズ著。戦争冒険小説。早川書房、1997年、ISBN 978-4-15-040835-0