リック・スタイナー
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リック・スタイナー | |
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プロフィール | |
リングネーム | リック・スタイナー |
本名 | ロバート・レックスタイナー |
ニックネーム | ドッグ・フェイス・グレムリン 地獄の番犬 |
身長 | 183cm |
体重 | 127kg |
誕生日 | 1961年3月9日(47歳) |
出身地 | アメリカ合衆国 ミシガン州ベイシティ |
所属 | TNA |
スポーツ歴 | レスリング アメリカンフットボール |
トレーナー | エディ・シャーキー |
デビュー | 1983年 |
リック・スタイナー(Rick Steiner、1961年3月9日 - )、本名:ロバート・レックスタイナー(Robert Rechsteiner)は、アメリカ合衆国ミシガン州ベイシティ出身のプロレスラー。WCW、WWFなどで活躍した。
[編集] 経歴
ミシガン大学ではレスリングの選手であった。1982年プロレスデビュー。アマレス出身であることは、ロバートのレスラーコスチュームにも反映されており、アマレス用のイヤーガードをつけ相手を投げる際にクラッチしやすいように指にテーピングをしていることが多い。
実の弟のスコット・スタイナーとともにタッグチーム「スタイナー・ブラザーズ」を結成し活躍。1988年からはNWA所属団体を中心に活躍し、そのまま1991年からはWCW所属となり、1992年まで所属した。WCW時代は兄弟揃って新日本プロレスへも参戦し、馳浩&佐々木健介組を破ってIWGPタッグ王座を獲得するなど活躍した。
1992年に兄弟揃ってWWF(現WWE)へ移籍。引き続きタッグチームとして活動した。WWFではタッグタイトルを獲得するなど活躍したが、1994年にWWFを退団した。この後1996年にWCWへ再移籍するまでの間、日本の団体やECWへ参戦した。
WCW復帰後もタッグチームとして活動していたが、1998年に弟のスコットがnWoに加入しタッグは解消、同時に兄弟抗争をスタートさせた。
2001年のWCW崩壊後はWWFへ復帰せず、TNAやインディ団体を中心に活動した。また日本の団体への参戦も続けており、2004年にはプロレスリング・ノアへ登場した。
2006年5月に再度TNAに出場し、その後スタイナーブラザーズを復帰させる案があったが、途中スコットの契約問題が長引き一度流れた。しかし1年後の2007年5月に行われたPPV・サクリファイスにて、スコットの試合後に乱入しスタイナーブラザーズが復活した。
[編集] 得意技
- ジャーマン・スープレックス
- カール・ゴッチらの美しいブリッジで相手をホールドするスープレックスとは違う、投げ放し式のスープレックスを多用。
- 途中でクラッチをほどき、相手を軽々と放り上げるようにして投げ捨てるこの技は、日本においても強い印象をファンに与え、日本人レスラーでも投げ放し式スープレックスを使う者が増えることとなった。しかしゴッチ自身と日本の一部のファンからは、スタイナーが投げ放し式を多用するのは単にクラッチ、ブリッジが上手くないからだと酷評する声もある。山本小鉄によれば、スタイナーは膝が悪いため最後までブリッジすることができず、このような形になったという。
- ブルドッキング・ヘッドロック
[編集] タイトル歴
- WWF/WWE
- WWF世界タッグ王座 : 2回(&スコット・スタイナー)
- 新日本プロレス
- IWGPタッグ王座 : 2回(第16代、第19代 &スコット・スタイナー)
- WCW
- WCW世界タッグ王座 : 7回(&スコット・スタイナー、&ケニー・カオス)
- WCW TV王座 : 2回
- WCW US王座
- NWA
- NWAフロリダ王座
- NWA MAタッグ王座
- NWA TV王座
- NWA USタッグ王座
- UWF
- UWFタッグ王座(&スティング)
- WLW
- WLWヘビー級王座
- SCW
- SCWヘビー級王座