マクシミリアン・フォン・バーデン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マクシミリアン・フォン・バーデン (Prinz Maximilian Alexander Friedrich Wilhelm von Baden, 1867年7月10日 - 1929年11月6日)は、バーデン大公家家長。
プロイセン軍の将軍ヴィルヘルム・フォン・バーデン(バーデン大公レオポルト1世と妃ゾフィー・ヴィルヘルミーネの四男)と、ロイヒテンベルク公女マリア・マクシミリアノヴナ(ロシア皇帝ニコライ1世及びウジェーヌ・ド・ボアルネの孫娘)の長男として、バーデン・バーデンで生まれた。最後のバーデン大公フリードリヒ2世の従弟にあたる。
第一次世界大戦前から自由主義者で知られ、1918年10月にドイツ帝国宰相に任命され連合国との休戦交渉を担った。帝国政府の努力は、11月初旬に発生したドイツ革命のせいで邪魔された。マクシミリアンは、皇帝が帝位を保持することはできないと悟っており、ホーエンツォレルン家を救うために退位させるべきと周囲からせき立てられた。しかしヴィルヘルム2世は、パウル・フォン・ヒンデンブルクやヴィルヘルム・グレーナーら将軍らに同じく勧められても、退位を拒絶した。
マクシミリアンは、ヴィルヘルム2世の同意なしに退位を表明、1918年11月9日、フリードリヒ・エーベルトに後を託し自身も辞職した。このあとすぐに、ドイツ共和国成立の宣言がされた。
マクシミリアンは退役して余生を過ごし、1928年にフリードリヒ2世よりバーデン大公家家長を引き継いだ。
[編集] 家族
ハノーヴァー王太子エルンスト・アウグストの長女マリー・ルイーゼ・フォン・ハノーファーと結婚。2子をもうけた。
- マリー・アレクサンドリーネ(1902年-1944年) ヴォルフガング・モーリッツ・フォン・ヘッセン=カッセル(ヘッセン=カッセル方伯家家長フリードリヒ・カール・フォン・ヘッセンの四男)と結婚。第二次世界大戦中、連合国によるフランクフルト空爆の犠牲となり死去
- ベルトルト(1906年-1963年) ギリシャ・デンマーク王女テオドラ(エディンバラ公フィリップの実姉)と結婚
|
|
|
|
|
|