ヘルマン・オーベルト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヘルマン・オーベルト(Hermann Oberth, 1894年6月25日 ヘルマンシュタット/ナジセベン - 1989年12月28日 ニュルンベルク)は、ルーマニア出身のドイツにおけるロケット工学者である。
当初、ミュンヘン大学において医学を勉強していたオーベルトだが、第一次世界大戦勃発により軍医として従軍する。その後、物理学を学びロケットの研究に熱を入れていくようになる。
1923年、惑星空間へのロケット(Die Rakete zu den Planetenraumen)と呼ばれる著作を発表し、宇宙への飛行がどうすれば可能になるかという原理を示す。1929年にはこれに加筆を施した宇宙旅行への道(Wege zur Raumschiffahrt)を発表している。1927年7月、オーベルトの論文を受けてヴロツワフに宇宙旅行協会(VfR, Verein für Raumschiffahrt)がヨハン・ヴィンクラーによって設立された。1929年、VfRに参加していたヴェルナー・フォン・ブラウンなどと共にロケットの開発に取り掛かる。ナチス政権下では、V2ロケットの開発にも成功した。
第二次世界大戦後は、イタリアでロケットの研究をしていたが、1955年~1958年にはブラウンに招かれてアメリカ合衆国へ渡り、軍事面における研究を行った。