フランス領赤道アフリカ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フランス領赤道アフリカ (Afrique Équatoriale Française, AEF) は、1910年から1959年まで中部アフリカに存在した、フランスの植民地。
[編集] 構成植民地と統治
1910年にガボン植民地、中央コンゴ植民地(現コンゴ共和国)、ウバンギ・シャリ植民地(現中央アフリカ共和国)の3地域に連邦制を敷きフランス領赤道アフリカを設立。1920年にはチャド植民地も加わり4地域体制となった。総督はブラザヴィルに常駐し、その代理が各地域の主都に赴き統治に当たった。各地域の主都は以下の通り。
[編集] 歴史
第二次大戦期、ナチス・ドイツによりフランス本土の大半が占領されると、自由フランスのアフリカにおける活動拠点となった。
フランス本国で第四共和政が成立すると、他の植民地と同様、フランス領赤道アフリカも本国議会に代表を送ることが認められた。住民の政治意識の高まりから1958年9月、フランス共同体内の自治共和国となるかどうかの住民投票が行なわれると、圧倒的多数でこれを承認。連邦は解体され、フランス領赤道アフリカは消滅した。1959年、旧連邦構成地域は暫定的に中部アフリカ共和国連合を創設し連携を維持しようとしたが、結局1960年各共和国は個別に独立した。
[編集] 関連項目
|
||
---|---|---|
マグリブ | アルジェリア - チュニジア - モロッコ | |
西アフリカ | オートボルタ - ギニア - コートジボワール - スーダン - セネガル - ダオメ - ニジェール - モーリタニア | |
赤道アフリカ | ウバンギ=シャリ - ガボン - チャド - 中部コンゴ | |
コモロ | アンジュアン - グランドコモロ - モヘリ | |
他アフリカ | イル=ド=フランス - セーシェル - ソマリランド - マダガスカル | |
アメリカ | ヌーベルフランス(アカディア - カナダ - テル=ヌーヴ - ルイジアナ)- ヴァージン諸島 - サン=ドマング - トバゴ | |
インド | カリカル - コロマンデル - シャンデルナゴル - ポンディシェリ - マエ - マドラス - マラバール - ヤナム | |
インドシナ | カンボジア - ベトナム(アンナン - コーチシナ - トンキン) - ラオス | |
他アジア | アレクサンドレッタ=ハタイ - 広州湾 - セイロンーレバノン-シリア | |
オセアニア | ニューヘブリディーズ諸島 | |
フランス東インド会社も参照。 |